2002年度 農業分野NGO研究会
1. 第1回・東京:参加型開発〜参加の主体は誰なのか
2. 第2回・ネパール:現場で活きる参加型手法とは何か
3. 第3回・茨城:NGO活動の実践事例から学ぶ
4. 第4回・千葉:持続可能な農業技術を学ぶ
5. 第5回・八王子/東京:総合的な農業へのアプローチ
6. 第6回・東京:評価会
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1回・東京:参加型開発〜参加の主体は誰なのか〜


 農業・農村開発をすすめるNGOがともに集い、日頃の経験と実践の事例を紹介し、住民の参加を通した持続可能な農村開発をめざして技能の向上のための研修を行うことをめざします。



開会のあいさつ  新屋敷 道保 (JANARD代表)
基調講演  参加型開発とは  中田 豊一(参加型開発研究所所長)

 及び導入のワークショップ
事例発表
 (1)マラウイでの村落開発普及員の地域開発活動の実践から
草刈 康子(元青年海外協力隊員)
 (2)タイでの朝市から村の経済的自立に向けての実践から
倉川 秀明(日本国際ボランティアセンター)
グループディスカッション


とき:2002年7月13日(土)
ところ:東京YMCA集会室


開会のあいさつ

JANARD代表 新屋敷 道保

 農業・農村開発NGO協議会は「開発途上国を中心に農村社会の健全なる発展のために、農業及び農村開発に必要な事業を展開するとともにNGO同士の連携を強化する」という目標のもと、14団体が参加し2000年12月に設立されました。昨年、外務省の支援を受けて実施した5回のワークショップを通じてさらに参加を希望するグループが増え、現在は31団体が加盟しています。昨年は東京、茨城、福岡及びインドで研究会を開催しましたが、特にインドでの研修は好評で今年はネパールで実施することになっています。

 JANARDの持ち味としては大きく次の二つがあります。第一は海外や国内でプロジェクトの現場を持っていること、第二は東京だけでなく地方で活動しているグループのネットワーク化に力を入れていることです。今後ともNGO同士で協力し合い、お互いの力量アップに努めたいと思っています。

 また日本社会におけるNGOへの期待の高まりとともにその活動の質を問う目も厳しくなっています。例えば、外務省も補助金の対象となったNGOにプロジェクトのタイムシートや外部監査を義務化するなど情報公開とその透明性の向上を強化しようとしています。また国際機関の日本のNGOとの連携を求める声も大きくなっています。

 支援を求める発展途上国の農村の人々により有効な国際協力を実施するため、今年度のワークショップが昨年同様、多くの学びの場となるよう期待しています。



基 調 講 演


参加型開発とは

参加型開発研究所所長 中田 豊一

 私は1998年までバングラデシュで活動しているNGOであるシャプラニ―ルの会で主に現場でプロジェクトをどう実施するかに没頭していました。同会を離れフリーの立場になった過去5年の間、様々な形で参加型開発について研究してきました。特に以下の二つのプログラムで大きな刺激を受けました。

JICAの研修プログラム
 その一つは、JICA大阪国際センターで行っているNGO連携による参加型農村開発の研修プログラムです。アジアの中堅リーダー12〜3人を集め、農村における参加型開発や参加型教育について研修するもので、5回目になる今年は8ヶ国から参加しました。私とともに講師を務めてきた池住義憲さんは過去30年以上、アジア保健研修所(AHI/Asia Health Institute・愛知県)で参加型研修を担当してこられた経験の持ち主で、彼から多くのことを学びことができました。

PRAに注目
 もう一つは最近、注目されているPRA(Participatory Rural Appraisal/参加型農村評価)という手法です。PRAという言葉を聞いたことがある方、手をあげてみてください。半数弱の方がご存知ですね。ネパールの有名なPRAのファシリテーターであるカマル・フィラルを2年連続して日本に招き、日本各地の中学校で参加型学習のセミナーを実施したことがあります。この経験を通じて同氏が唱えるPRAについて学ぶことができました。

被抑圧者の教育
 参加型教育あるいは開発の基本にあるのはブラジルの「被抑圧者の教育」で知られるブラジルのプウロ・フレイレの考え方です。またPRAという手法そのものはイギリスのロバート・チェンバースという学者がAction AidというNGOとともに開発したものですが、その根底にある理念はプウロ・フレイレから大きな影響を受けています。プウロ・フレイレをご存知の方、手をあげてください。幾人か、いらっしゃいますね。フレイレが特に力を入れたのが成人識字教育です。彼が開発した手法は世界中の識字教育のモデルとなっています。彼の最も基本的な考え方は「学歴の有無などにかかわらず全ての人が豊かな経験と知恵をもっている」とし「しかし経験から学ぶことはできない。むしろ、経験を分析することによって学ぶことができる」と位置づけたことです。次の事例発表においても、それぞれが分析したことをグループで共有し、さらに知恵を深めていただきたいと思います。

導入のワークショップ(1)

 このあと、具体的に会場のなかに「ネパールの農村を再現するロール・プレイング・ゲームを行った。村長、村長を支える3人の有力者すなわちお坊さん、校長先生そして大地主、貧農、政府の役人、NGOワーカーなどの役割を参加者に割り当て、それぞれにふさわしく振る舞い、発言することによって、それぞれの社会的役割や相互関係について考察を深めることができた。この社会構造への理解が「開発」ワーカーの基本だ。(写真参照)




事例発表(1)


マラウイでの村落開発普及員の地域開発活動の実践から

元青年海外協力隊員 草刈 康子

 1998年4月から3年間、マラウイで村落開発普及員として活動してきました。マラウイは北海道と九州を合わせたほどの小さな内陸国で国土の5分の1をマラウイ湖が占めています。

 一口に村落普及員といっても農業技術、プライマリ・ヘルスケアなど担当部署は様々ですが、私は村落開発を推進するファシリテーターとしての普及員を養成するための学校、マゴメロ・コミュニティ開発訓練校に赴任しました。その活動の一つとして「村落開発リソースブック」を作成しました。その作成には現場の普及員からマラウイ政府の高官まで約千名の参加がありました。今日はその過程で私が学んだことをお話ししたいと思います。

1. 背景

(1)配属先
 私はこの学校のなかで社会調査を担当していましたが、特に予算はなく、講座を実際に担当したのは3年間のなかでも6ヶ月だけでした。後は自分で自由に企画して活動しました。そこで最初の1年は村の人たちと知り合い、村の状況をより深く理解するための村廻りに徹しました。2年目から実際の活動を開始しました。
 まず村廻りをしていて気づいたことは「村のなかには貴重な情報がたくさんあるのに、それが学校には届いていない」ことでした。そこで、学校のなかに情報を受けとめ蓄積する小さな調査部を設置しました。また現在、大流行の収入向上プログラムに関するインパクト調査が行われておらずそれらのプロジェクトが実際、どのような効果をあげているのか、どうかをチェックする必要を感じました。そのため、ユニセフなどのドナー団体と一緒に村落調査を行いました。

(2)ニーズから活動形成へ
 村人やフィ―ルドワーカーとの会話や、当時、農業省から派遣されて農業普及員に対する指導を行っていた同じ協力隊員の谷島氏との話し合いのなかから、協力隊員としてどのような支援が必要か、かつ可能かを検討した結果、リソース(フィールド活動に役立つ情報)提供を行ういう点で意見が一致しました。

2. 活動概要

(1)活動目標
 短期目標は「有益な情報や考える機会の提供」とし、長期目標は「有用な情報を得ることによって活動全体が活性化し、地域住民が主体となって、彼ら自身が望む開発の実現につながっていく」ことをめざしました。

(2)冊子の内容
 プロジェクトサイクルの考え方、参加型手法、その普及法、小規模ビジネスなどのスポンサーの連絡先、政府省庁、国際協力NGOの連絡先などを含めました。

3. アクター間の人間模様

(1) 外部者と協力相手との関係性
 協力隊員という外部が主導する形が強すぎたという反省があります。その背景には協力隊員の任期は通常は2年、また冊子製作の予算がJICAからのものだったため、決められた年度内に執行という制約がありました。それがなければ、一定のところで後は地元にプロジェクトを引き渡すという選択肢もあったかと思います。
 ただし、外部者が関与するメリットもありました。例えば、欧米の開発手法や国内の世界銀行の図書室などにアクセスしやすい利点がありました。帰国後、フィールドワーカーの一人から、数年後には自分たちの力で改訂版を出したいという手紙が届いたことは大きな喜びです。
 反面、マラウイ側との認識の差もありました。例えば、私たちはできれば全国各地のフィールドワーカーに役立つスタンダードなものをと思っていましたが、マラウイのフィールドワーカーたちの視点では自分たちの地域をカバーするのが精一杯ということがありました。

(2)「相手」グループの多様性
 協力相手と一言でいっても必ずしも同質とは限りません。例えば、冊子の使用言語については、外部者の私たちはマラウイ語でと思いましたが、地元の各省庁の意見では「小学校、高校で英語を習い、専門用語の多くは英語で入ってきているので、マラウイ語に訳すとかえって混乱する」とのことでした。そのため英語を採用しました。フィールドワーカーの人たちからは特に反対の声はありませんでしたが、本当にそう思っていたかどうかは今でもわかりません。

(3)相手国上層部との連携
 完成した冊子はジェンダー省に属するフィールドワーカーたちには全員、配ることができましたが、農業省付属のワーカーたちへの配布は途中で差し止められました。同省の高官の一人が、冊子に原稿を書きたかっのに依頼がなかったとヘソを曲げたためです。できるだけ現場の声を反映したいという思いがかえって現場のワーカーたちに冊子を届けられないという矛盾を生んでしまいました。政治的な配慮が欠けていたと言わざるを得ません。

最後に

 この事例から二つのことを問題提起したいと思います。
 一つは相手国のなかにあるグループの多様なニーズにどう対応すればよいか、もう一つはプロジェクトのオーナーシップをどう引き出すかという点です。この二つについて、あとのワークショップで話し合いを行ってほしいと思います。

<質問>

●モニタリングはどのように行っているか。
○冊子には「どの点が一番、役に立ったか」「もっと必要な情報は何か」などの項目をあげた評価シートをはさんで配布した。2001年3月に完成した後、同年12月までに76通の好意的な回答が寄せられた。同じ時期、同国を訪れた谷島氏の聞き取りでも好意的な評価が寄せられている。

●何部、作成したか。
○1000部作成し、700部をフィールドワーカーに配布し関係協力団体に100部配った。



事例発表(2)


タイでの朝市から村の経済的自立に向けての実践から

NPO法人 日本国際ボランティアセンター 倉川 秀明

農村部での流通システムづくり
 タイ東北部のコンケン州の小さな村で始めた朝市のことについてご紹介したいと思います。地域での経済の循環をつくることをめざしたものです。対象地域は主に4つの村で始め、後に2つの村に広がっています。生産活動というより、地域での流通システムを変えることを目的としました。99年に調査を行い、プロジェクトとしては2000年4月に開始しました。期間は5年、今年は3年目になります。JVCだけでなく、イサンNGO行動(NGOの連絡組織・タイのJANIC版・またイサンはタイ東北部を意味する)、オールタナティブ農業ネットワーク(農業NGOの全国組織)の同じくイサン支部の計3団体がプロジェクトを進めています。持続可能な農業を推進するとともに農民の経済的安定を図ることを目標に、具体的には1)朝市を開く2)町と村との流通システムを確立する3)朝市を各地に広げることを掲げています。

朝市に注目
 道端に夜明けとともに、自分の畑でつくった野菜あるいは惣菜を並べるごく小さな朝市に同じ村人が買いにくるというシステムです。毎日、朝市をやっている村もあります。朝市によって村で取れた作物が村人によって売買され、お金も村のなかで循環させることができます。ささやかながら、村の外の大きな経済の影響を少しでも食い止めることにもつながります。

 こうした朝市を開くことによる効果として次の3つが出てきました。

女性が主役に
 まず、第一に朝市の主役は何といっても女性です。畑からの収穫、惣菜づくりなど全て女性が担っています。そして子どもも女性を手伝うようになり、村のなかの仕組みを自然に学ぶことができるようになりました。また村のおばあちゃん世代も積極的に朝市に参加するようになりました。こうして近代農業では成年男子より劣った労働力とみなされてきたいわゆる「女、子ども」に再び脚光があたることになったのです。

顔の見える関係―買い手と売り手
 第二に、顔の見える関係での売り買いだけに、売り手も農薬や化学肥料を大量に使うことを避け、できるだけ安全な作物を並べるようになりました。

年間を通じた生産に意欲
 第三に年間を通じて朝市を開くことによって年間を通じた作物生産への意欲が高まってきたことがあげられます。従来は作物は雨期だけに限り、水が確保できない乾期には作物ができないと諦めていたのが、溜池や灌漑設備などの水源を確保することによって年間を通じた農業生産を図る「複合経営」に乗り出す農家が増えてきま した。

周辺への波及効果
 こうしたプロジェクトを進めるにつれ、一つの村だけでなく、まわりの村との連携も出てきました。例えば、牛一頭をさばいたとき、一つの村だけでは消費しきれないので一部は隣村の朝市に出すという関係も生まれています。また近くの町の消費者との産直活動も出てきています。町の業者に売り渡すのではなく、町の病院や学校の給食の食材として使うなどの試みも始まっています。

 一方、新たな問題も生まれています。最初に朝市が始まったコーク村が属する行政区(10の村で一つの区を形成)の区長が、その興隆ぶりに目をつけ村の中央に大きな屋根つきの市場を設けたのです。そのため、今まで村人同士の売買に限られていたのが、外部からの業者がトラックなどで朝市に乗りつけ洋服や日用雑貨、おもちゃなどの消費財を売るようになりました。そのため、村人のための朝市が外部業者のためのものに変質し始めています。

 この問題にどう対処すればよいかを皆さんで考えてください。



グループワーク


 二つの事例発表を受けたあと、3つのグループに分かれ、それぞれの事例について話し合いを行いました。

グループ1 マラウイの農村開発リソースブックについて

 多様なニーズにどう応えるかについて話し合いを行い、結論として「いかに真のニーズを見極めるか」ということが見えてきました。外部者の先入観にとらわれず、相手側のニーズをどう見つけるかの方法については次のような意見が出ました。1)お酒の席などあらゆる機会を捉えてできるだけたくさんの人と話す 2)貧しいのはなぜなのか、誰が貧しいのか、何が必要かといった質問をぶつけて、村の状況と村人の意見を掘り下げていく 3)村人の暮らしぶりに関するアンケート調査を実施する 4)外部者の目で実際に村を見てまわる。

 こうしたニーズを発見する努力とともに欠かせないのが、自分たちが村人のニーズに対応できるかどうか、資金や人材といった自分たち自身の能力を見極めなければならないことです。また、バランスよくプロジェクトを進めるためには省庁の幹部クラスの人とも良好な関係を保つことが重要との指摘もありました。
 最後にまとめとして、こうした開発協力の分野には正解というものはなく、大切なのは「結果」ではなく「プロセス」ということで意見が一致しました。

グループ2 マラウイの農村開発リソースブックについて

 協力相手のオーナーシップやイニシアティブをどう引き出すかについて話し合いを行いました。そのためには以下の点が重要との意見が出ました。
 1)参画 2)成果物の活用 3)人材育成などのソフト面への支援 4)事前調査の充  5)地元のNGOや国際機関などとのパ―トナーシップの5項目があげられました。
 特に1)の参画に関しては村人の側にインセンティブをきちんと提示することが大切との意見が出ました。このプロジェクトに関わることが村人、あるいは村の開発にとって意味があるということを納得した上で、自分がそれに貢献するという明確な当事者意識を持つことが重要との指摘がありました。また3)のソフト面の充実は特に人材を育て、プロジェクトの持続性を確保するために必要不可欠ということで意見の一致を見ました。

グループ3 朝市委員会の今後について

   朝市委員会の方向を決めるのはあくまで村人なのでNGOが介入するのは得策ではない。NGOはあくまで情報提供に徹するべきだ。ただし、実際に出店している村のおばちゃんなら、おばちゃん、長老なら長老というように参加人数に応じた割合で構成する朝市委員会に再編し今後の方針を決めてはどうか。政治家の介入を不当として排除するかどうかは、委員会で決めればよい。排除するということになれば、その旨、申し入れるか、あるいは従来どおりのやり方で他の地域にも朝市を広げその有効性を示す方法もあるだろう。

 導入ワークショップ(2)村へのアプローチ 村のなかでの関係の作り方

 ここはネパールのある村。この村で何かプロジェクトを始められないかとNGOの調査員がやってきました。二人は日本のシャプラニ―ルというNGOからやってきたのです。「外国人が何かプレゼントしてくれるかもしれない」と村長はじめ村人が大勢、興味津々で集まってきました。

質問1) さあ、一番最初に誰に質問しますか。
答え  教師です。学校の先生が一番、村の状況に関する客観的な情報を持ち、しかも政治的な思惑から比較的、自由な立場にあります。もちろん、あなたとしたら貧農の人のところに真っ先に行きたいところでしょうが、そうすると村長から警戒されてしまいます。

質問2) 村長さんから、ここに座れと前の椅子を勧められました。あなたはどうしますか。
答え  決して座ってはいけません。座った途端、あなたは村長の客になってしまい、貧農の人たちと関係を持つことが難しくなります。
 このようにちょっとした日常的な所作、挨拶の仕方、椅子に腰掛けるかどうか、全てがその村の社会的秩序とつながっています。NGOワーカーとしてこうした社会との関係性を敏感にキャッチし、新しい関係をどうつくるかセンスが求められるところです。




質 疑 応 答


質問「プロジェクトを実施するパイロットエリアとして選ばれた村以外の村をどう納得させるか」
パイロットエリアの選定には中央政府、地域政府、郡、村のリーダーや当該地域の住民を含んだ協議を経て選定している。何を目標に、どういうプロジェクトのために、どういう地域を選ぶのかといった明確な選定基準に基づき、数ヶ月かけて協議し決定する。

質問「NGOがネパールで教員の研修プログラムを年に10回実施している。昨年、政府が同じようなプログラムを突然始めた。プロジェクトの相乗効果をあげるために、ネパール政府とどのような協力関係を結べばよいか」
NGOによる研修が効果をあげていた背景にはその取り組みをコミュニティが支持していたことがあるのではないか。うまく相乗効果をあげるためには政府が主導するという位置付けではなく、地域の取り組みを政府が支援するという形が望ましい。また将来的には教員研修コストをコミュニティが一部、負担するようなコストリカバリーのシステムをつくっていくことも持続性の確保のために必要だ。 

質問「パートナーを選ぶ際のアドバイスは」
政府でいえば、その分野の担当省庁というのが通常である。ただし、省庁によって力に差があり、その担当省庁の力がないためにプロジェクト活動が「政策」に結びつかないこともある。どの省庁や地方自治体を選ぶかは、その省庁と組んだことのある現地のNGOや他のドナーに話をきくとよい。



第2回・ネパール:現場で活きる参加型手法とは何か


 今回の研修では、(1)持続可能な開発や生産性向上をめざす農業・農村開発プロジェクトの成功例、失敗例などを学び、(2)PRAの実践的なスキル習得と(3)研修期間中にNGOスタッフが意見交換することを目標とした。



第1部
JAITI農場訪問 (カカニ渓谷)


EM研究農場訪問
第2部
JICAプロジェクトサイト見学(カトマンズ郊外キルティプール)
第3部
PRAトレーニング
第4部
ネパールNGO連絡会 カトマンズ会議参加
参加者コメント


 
とき 2002年8月19日(月)〜24日(土)
ところ ネパール
主な内容
第1部(8月19日〜20日)  JAITI農場訪問(カトマンズ市郊外・北部カカニ渓谷)
第2部(8月21日)  JICAプロジェクト見学(キルティプール)
第3部(8月22日〜23日)  PRAトレーニング(カトマンズ市)
第4部(8月24日)  ネパールNGO連絡会 カトマンズ会議参加(同上)


第1部 JAITI農場訪問

PART1

とき 2002年8月19日(火)午後1時〜5時
ところ JAITI(日本農業研修場協力団)オフィス(注・参照)
テーマ 商品作物の栽培・マーケティングに関する取り組みについて
講師 Man Bahadur Shresta(同農場支配人)
参加者 日本からの参加者12名、ネパール在住ワーカー1名、フィリピン在住ワーカー1名

(注)JAITIとはJapanese Agricultural Inserivce Training Institute Foundationの頭文字の略。1989年、長野県出身でヒマラヤ登山に魅せられた菊池健介氏が登山を通じて交流の深まったシェルパ族の人々の生活向上をめざして農業指導を行うために設立された。目標としては1)日本の農業技術導入による農家の生活水準の向上2)学校づくりを通じての教育の充実をあげている。

オリエンテーション
イチゴ栽培に挑戦する
 カトマンズの北西25kmに位置するカカニ渓谷に研修農場をつくり、水量豊かで都市に比較的近い地の利を活かした商品作物の栽培を行っている。まず着手したのがイチゴの露地栽培である。イチゴを選んだ理由としては、1)カカニ農場の気候や地味などがイチゴ栽培に適していたこと 2)イチゴはランナー(つる)で増えるため種がいらず、コストも安く苗を増やしやすい。3)大消費地であるカトマンズに近い。なお品種としては女峰(栃木県産)を選んだ。現在、7500・の畑から1〜1.5トンを収穫している。

近隣農家への伝播
 5年間の実験栽培の後、商業化にメドがつき、研修を希望する近隣農家に徐々に技術提供を広げていった。1994年から1995年にかけて30名の研修生を受け容れ技術指導を行ったところ、1995年に農家45軒がイチゴ栽培を開始した。翌96年には200軒に増え、2002年現在では700軒に拡大している。JAITIでは現在、イチゴに引き続き、キウイとサツマイモ栽培にも取り組んでいる。

農家見学
 午後から二つのグループに分かれ、JAITIから徒歩15〜20分ほどのイチゴ栽培農家を訪ね、苗の植付けを見学するとともにインタビューも行った。

欲しいものは買った
 Sumita Shresthaさん(22歳)は5年前にJAITIの研修を受けたのをきっかけにイチゴ栽培を始めた。6人兄弟の長女。赤い野球帽を被ってきびきびとよく働くしっかり者。栽培面積は約600・。年間1〜1.5万ルピーの売上に対して肥料や市場までの運搬費用などのコストは2500ルピーで済むので残りは全て儲けとなる。最初の収穫で白黒テレビ(6000ルピー)を買ったのを手始めにミシン、自分と妹二人に金のイヤリングを購入。あとは弟や妹の学資にしている。「欲しいものは殆ど買った。あとは1万5000ルピーを貯めてカラーテレビに買い換えるのが目標」と笑う。実家はとうもろこし畑も持ち、家は3階建てで大きく、生活全般に余裕が感じられた。

生活が忙しくなった
 上記のようにイチゴ栽培の導入によって確実に現金収入が伸びているのに対して、逆に問題も生じている。

 イチゴ栽培の前には大工仕事をしていた別の農民は現在、所有地の全てでイチゴ栽培を行っている。年間6万ルピーの売上があるが、化学肥料、殺虫剤、苗づくりのためのプラスチックや苗などのコストがかかり、現在、1.5〜2万ルピーの借金がある。その理由としは以下をあげる。また印象的なコメントとして「イチゴ栽培を始めて生活が忙しくなった」との言葉があった。

1)連作障害
   毎年、畑を休ませることなくイチゴを植えているので、だんだん実が小さくなりC等級のものが増えている。(注)また病虫害も発生しやすくなっている。

(注)イチゴは次の3等級に分かれる。
A等級  一粒の重さ 30g以上  200ルピー/kg
全収量の20%
B等級  15〜25g  100ルピー/kg
20%
C等級  15g以下  50ルピー/kg
60%
 これより小粒のものは10ルピー/kgでジャムやフレッシュジュースの材料として売られている。JAITI農場でも年々この割合が増え4割がこれに該当する。

2)価格低迷
 質の低下と連動し、仲買人の買値が低下、収益が減少している。
 周辺の農家でイチゴ栽培を始めたときは仲買人を通して行っていたが、中間搾取が過大との苦情が出て、その後、3年間はカトマンズに各自が直接、運搬し、外国人の多い高級ホテルや大使館向けに販売を行っていたが、販路の開発が難しく4年目に栽培農家を5グループに分け仲買人を間に入れた共同出荷に転換した。マーケティングの難しさを感じさせる。

3)別の作物への転換
 イチゴ以外の作物、例えば、キウイへの転換を検討している。ただし、すぐ収穫できるイチゴと違って実が成るまで5〜6年間かかるのが負担に感じる。JICAのある農業関係者は「キウイは受粉期に霧が出ると受粉しにくい性質を持つため、霧が出やすいカカニ渓谷では栽培が難しいが、JAITI農場だけは地形的になぜか霧がかからない。こうした事情を知らない農家が安易にJAITIを真似ると失敗する恐れが高い」と警告する。

農家との話し合い
とき 2002年8月20日(火)午前9:30〜12:00
ところ JAITI(日本農業研修場協力団)カカニ農場
テーマ 昨日に引き続き、イチゴ栽培農家3名にインタビューを行った。

 いずれも6年前からイチゴ栽培を始めている。とうもろこしや大根に比べて見入りがよいのが魅力。年収も以前に比べると2倍以上増え、生活に困らなくなった。家を建てたり、テレビも購入した。その一方、最近、イチゴの質が低下しているので他の作物がないかと思い始めている。

 上記のフィールド調査やインタビューに基づき、研修参加者のあいだで次のような議論を行った。

1. 質の低下
1−1 技術水準が停滞
 JAITIから一度、トレーニングを行うだけで、同農場から農家の要請に応じて技術指導を行うシステムは採用しておらず技術水準が停滞している。

1−2 水不足
 2日に1回、水遣りが必要なため、水の確保に苦労する農家も多い。

1−3 地力低下
 有機肥料と化学肥料のバランスが悪い。化学肥料を入れ続けると土が硬くなる弊害も出ている。但しJAITI農場ではぼかしを使った堆肥づくり・土づくりが始まっている。

1−4 供給過剰
 価格低下に直結。但し、今のところ、それでもなお、とうもろこしや大根などに比べると単位面積あたりの収益率が高いため栽培が続いている。

2.連作障害
 毎年、同じ場所に同じ作物を栽培することによる弊害はナス、トマト類にもっとも顕著だが、「嫌地」とも呼ばれる連作障害はイチゴも例外ではない。

 こうした問題についてJAITI側は農民の創意工夫に任せることに徹しているため、指導を受けたい農民はあくまで2年間の研修を受けるのが前提となっている。Shrestha氏(同農場支配人)は「これまでNGOは余りにも手取り、足取りの指導に走り勝ちだった。私たちはあくまで意欲を持つ農家に対象を絞った指導を行っている」と話し、「700戸の栽培農家は自己責任において現在の問題に対処すべきだ」と今後の推移を見守る姿勢を取っている。「開発を真に望む者にこそ資本を投下すべき」とする、ある意味で厳しいJAITIの手法について参加者からは「普段、意欲に乏しい村人をどうプロジェクトに参加させるのかに苦労しているため、こうした突き放したやり方もあるのかと参考になった」との声も多かったが、JAITIが商品作物栽培=現金収入向上プロジェクトを地域全体の総合開発の文脈のなかでどう位置づけているのか疑問が残ったのも事実だ。

☆参加者の声から

イチゴをつくる女性たち

カルナリ協力会事務局長  清沢 洋

 長年ネパールでNGO活動をやっていても、自分のプロジェクトの行き帰りが精一杯で、よそのプロジェクトを見学する機会はなかなかなかった。今回、ジャイチのイチゴ研修農場を訪れることができて、ほんとうに楽しかった。換金作物が村人にとって、どんなに魅力的なものであるかということが良く分かった。同時に問題点も、ある程度知ることが出来た。
 食べるだけで精一杯の従来の農業に対し、換金作物により今まで買えなかった金のブレスレット、ミシンなどを女性の収入で買えるようになった。ネパールで問題になっている女性の立場が、知らない間に解決している部分もある。まさに換金作物による副産物である。
 一方、化学肥料を使って4〜5年経つと土壌疲弊し始めるという現状があった。途上国の農業のあり方を、改めて考えさせられるきっかけになった。必要にせまられて大量生産で土地を酷使した20世紀を反省する時期に来ていると思った。
 市場経済に参加できる地理的条件のもとにあるカカニ村では、換金作物に挑戦することができたが、陸路もない村では非常に困難である。自力で収入を得て喜んでいるカカニの女性の自信に満ちた元気な顔を見ていると、私たちカルナリ協力会が支援している西の僻地ディリチョール村でも何か検討することの大切さを痛感した。ジャイチの先人が貴重なエネルギーと時間を費やして試行錯誤しているから、良いところもまずい所も見えてくる。ありがたいことである。感謝しています。
現場に活きる開発協力とは

NPO法人ヒマラヤ保全協会 田中 博

 近年JAITIのイチゴ栽培の話を耳にし、その成功の秘訣などを学びたいと思っていました。新しい品種を導入する試みは多くのNGO団体で行われていますが、せっかく作物ができてもマーケティングなどが不十分で普及できない例をたくさん見ているからです。
 JAITI農場はカトマンズからバスで一時間半程度の山の中にあり、標高もやや高く夏とはいえ肌寒い感じです。農場はきれいに管理され、支配人のマンバハドゥールさんが笑顔で案内してくれました。農場にはイチゴをはじめ、キウイなどが育てられています。日本人専門家も含めいろいろな作物を試した結果、1994年頃からイチゴ導入に絞りました。当初から販売することを念頭におき、仲買人を利用してカトマンズのホテルなどで外国人向けに売るなど現実的な対応をしていたそうです。
 印象に残ったのは、厳しいJAITIの援助方式です。イチゴが有望だとわかってもJAITIから農民に積極的に宣伝はせず、「JAITIで販売して良い結果を見せ、教えを請いに来た人に教える」そうです。イチゴを導入した農家では現金収入も増え、女性が自由にできるお金ができたなど大変喜んでいました。「ネパールでは教育も不十分で、口で教えるだけでは、なかなかわからない。自ら失敗しそれを乗りこえることが大切」とのこと。別の農家ではイチゴで一時的に成功したものの、連作障害で収量減に悩んでいました。そのような場合もJAITIからは手を差しのべず、あくまで農民が協力を依頼するまでジッと待っているそうです。
 一見冷たくも見えますが、参加者の中には「一方的に助けるだけでは、いつまでも自立できない」と愛のムチ?を評価する声もあがりました。ネパール人に聞いてもカカニのイチゴは有名で、その功績はとても大きいと感じました。実践的なマーケティングは学ぶところ大だと思います。


PART2

とき 2002年8月20日(月)午後13:30〜14:30
ところ コミュニティ福祉・開発協会
同カカニフィールドオフィス
EM農場(JAITI農場近く)
テーマ ネパールにおけるEM菌の有効性や普及状況について


 同協会はネパール国内でのEM菌の普及を目的に設立されたもので、研修生の受け入れや専門家派遣などの活動を行っている。

 EM菌(Effective Microbio)菌とは1982年に琉球大学比嘉照夫博士が開発したもので、自然界に存在する微生物約80種類の「複合微生物(光合成菌、酵母菌、放線菌、乳酸菌)」を意味する。その特徴は好気性菌と嫌気性菌が液中で共存していることだ。米糠にEM菌を混ぜ、米糠を酸化腐敗させることなく、醗酵させるので優れた有機質肥料ができる。

 例えば、その効用として同研究所は次の点をあげる。

◎土壌改良
 農地の土壌は大別すると「腐敗型土壌」と「醗酵型土壌」に区別されるが、現在農地の大半は腐敗型土壌。したがって農作物に害を及ぼす微生物(セン虫等)の占有率が高く、病虫害の発生も高くなる。それに対して醗酵型土壌では病虫害の発生も少なく優良な農作物を作り出すとされている。
 EM菌を使った場合には、米糠で培養し有効微生物が土壌中で一層拡大し「醗酵合成土壌」とするため、土壌を浄化し作物の根張りと特に燐の肥効を増大させ作物の成長を助け、色ツヤ、食味、コクのある農産物を生み出し、他の有機質肥料とは比較にならない効果を発揮する。

 カカニ地域では約10軒のイチゴ栽培農家がEM菌を使用しているが、「味が良くなる」「実が堅く傷みにくい」「葉がきれいになる」などの効果が出ている。また、カトマンズの中流階級以上の家庭で有機野菜の需要が出始めているので、近隣の農家1軒が直接、カトマンズに出荷している。

 またブロイラーの肥育も通常は1ヶ月に1・というところが、EM菌を使用すると1ヶ月で2kgの体重増となる。また、水牛やヤギの飼料などにEM菌を混ぜると「味が良くなる」「肉が増える」などのメリットが見られる。

 こうした数々の利点に比べて、EM菌を使用する農家が増えない理由として「コストの割には期待したほど効果が上がらない」「土壌改良の効果が上がるには6〜7年かかるため大方のネパール人には負担が大きい」などがあげられる。



第2部 JICAのプロジェクト見学

PART1

とき 2002年8月21日(水)午前9:30〜10:30
ところ キルティプールJICA農場
講師 兀下敏幸氏(シニア協力隊員)


 カトマンズから東に車で約30分の距離にあるキルティプール国立実験農場を訪問した。JICAは1985年から技術支援、特に果樹栽培に力を入れている。ブドウ、ナシ(幸水など)、カキ(フユガキ、禅寺丸)、キンカン、リンゴ、イチジクなどの日本の果樹が植えられている。

 ここでは主に1)ネパール各地からやってきた農業普及員への技術指導2)苗木の育成3)遺伝子資源の保存4)品種改良5)技術指導の本を出版を行っている。JICAは協力隊員派遣を通じて2002年から2007年の5年間で行う「園芸普及計画」を進めている。シニア協力隊員1名と野菜・果樹を専門とする6名の隊員で構成される。


PART2

とき 2002年8月21日(水)午前11:00〜12:00
ところ キルティプール近くの農家
講師 兀下敏幸氏(シニア協力隊員)


 交通量の激しい道路から30分ほどなだらかな丘を登ったところにある農家を訪問。1反あたりカキ40本を植え付け完了している。今年3月に植えたばかりで収穫できるようになるのは2年後に収穫を予定している。

 こうした果樹や野菜の栽培方法が普及することにより、都市に近いところでは現金収入の途が広がるとともに、自家消費することによる栄養状態の改善も期待できる。ネパールの新生児の3割は2500g以下の未熟児で産婦の多くは貧血といわれている。豆の汁(ダール)と米と少量の野菜の食事の影響が大きい。より多くの野菜と果物を摂取しない食生活は貧しいからだけでなく、果樹や野菜の栽培方法が普及していないこともあげられる。同プロジェクトが近い将来、ネパールの食生活の改善に力を発揮することを期待したい。


PART3

とき 2002年8月21日(水)午後3:00〜5:00
ところ JICAネパール事務所(カトマンズ市内)
講師 亀井温子(事務所長アシスタント)
内容 JICAの村落振興保全プロジェクトに関するオリエンテーション
 JICAでは1991年から「村落振興森林保全プロジェクト」に取り組んでいる。1991〜1994年にかけてプロジェクト立ち上げ期、1994〜1999年の第1フェーズ、1999〜2004年の第2フェーズとなっている。プロジェクトの特徴としては参加型開発を強調している点である。


1)地域コミュニティへの直接投資

   ネパールの行政組織は国のもとにDistrict(郡・日本の都道府県に相当)が75あり、そのDistrictごとに10のVillage(市)があり、その市ごとに10のWard(村)がある。それぞれの行政単位ごとにDistrict Development Committee(DDC)、Village Development Committee(VDC)がある。
 JICAがカウンターパートとして選んだのはこのコミュニティに最も近いWardである。例えば、実施地域の一つポカラ(ネパール西部・カトマンズから車で6時間)では、計画づくりの段階からプロジェクトが直接的に便益を受ける人々の参加を促し、ニーズアセスメント(飲料水の確保、トイレ、道路補修、架橋など)を行うとともに、ポカラに専門家を置くとともに住民参加を促進するため10名の協力隊員を村ごとに1名、滞在させた。なお、現在は毛沢東派共産ゲリラの襲撃の恐れがあるため、協力隊員も村へは立ち入り禁止となっている。

2)WCC(Ward Conservation Committee)の結成

 JICAでは村のなかに住民主体のグループをつくることに力を入れ、村の代表5名、従来の村長や有力地主などのパワーグル―プから2名、その他のグループから数名、計10名で組織するWCCの結成をめざしている。特に発言権の弱い女性の立場を強化するため、女性が3割以上含めるよう働きかけを行っている。

3)WCCもプロジェクトコストを負担

 現在、ポカラで進めているのは山から水を村まで運ぶ簡易水道建設だが、そのコストの4〜6割をコミュニティで負担するよう求めている。



第3部 PRA研修

PART1

とき 2002年8月22日(木)午前10:00〜17:00
ところ Center for Self-help Development (自立開発センター)
講師 Mr.Ram Kumar Shresta
内容 PRA理論編
 まず3人ずつのグループに分かれ、1)このセミナーに期待すること 2)特にPRAのどの部分を知りたいかをそれぞれ出し合った。
 1)に関しては、どのようにPRAを実施するのか、PRAの有効性、PRAの限界、PRA以外の調査手法、PRAの種類などがあがった。
 2)に関しては、PRAの長所・短所、PRAを行うファシリテーターの資質などがあがった。それらを受けて、講師からPRAとは何かの説明があった。


Rapid Rural Appraisal(短期農村調査)
 1970年代までは地域開発の事前調査をするためにとられた手法は主に戸別訪問だった。そのためには5〜6ヶ月の時間がかかるのが難点だった。1970年代になって代わって流布し始めたのが「Rapid Rural Appraisal」(短期農村調査)と呼ばれるもので村のなかの幾人か、あるいは集会所に集まった人々にインタビューすることによって必要なデータをすばやく集め、オフィスで加工する方法である。

PRA(Participatory Rural Appraisal)
 次に1990年代になって広がり始めたのがPRA(Participatory Rural Appraisal)だ。この手法は人々が積極的に参加することによって人々の思いや生活状況などが把握できるため、ニーズアセスメント、プロジェクトの有効性調査や人々にとっての優先分野を確定する上で効果を発揮する。
 実際にPRAを行う場合、次の6つの手順で行う。
 1)場所の選定と当該政府諸機関への通知
 2)PRAチームを編成
 3)予備調査(現場を下見)
 4)PRA実施 対象以外に集めることのできるデータも含め全て記録し、調査に要した時間も記述しておく。
 5)データを収集
 6)分析

PLA(Participatory Learning Action)
 また1990年代後半から用いられるようになったのがPLA(Participatory Learning Action)である。これはPRAがともすれば人々にとってはNGOやGOの側にデータを提供しただけだった反省から、PRAで得たデータをもとに人々とNGO/GOがともに開発計画をつくろうというものである。ちなみに下の表は人々の参加の度合いを示したものである。

レベル1   消極的な参加   質問にただ答える
レベル2   関係性の樹立   NGO・GOと人々の間に信頼感が生まれてくる
レベル3   資源の動員   灌漑、水源の活用
レベル4   行動   NGO・GOが作成した計画に参加
レベル5   評価   計画への質問が人々から出る。
レベル6   自立自助   自ら計画作成


<社会地図づくり>(Social Mapping)
 実際に参加者を4つのチームに分け、自分たちが宿泊いているカトマンズ市内のホテル周辺のTamel地区の社会地図を描いた。
 また、その地図をもとに観光客の目から見た地域の特性を列挙した。主に9つのポイントがあがった。1)道路が狭い 2)道路が濡れて滑りやすい 3)屋根から雨が降ってくる 4)渋滞 5)ドラッグ 6)物乞い 7)騒音 8)人口過密 9)閉店時間が早い
 また、このほかに<優先順位付け>(Preference Ranking)や<幸せランキング>(Well Being Ranking)がある。何をもって幸せとするかどうかは調査に参加する人々の価値観に基づき、彼ら自身がデザインするのがよい。例えば、「1年のうち何ヶ月間、米を食べられるか」「貯金あるいは借金の有無」などが基準としてあがってくることが多い。


PART2

とき 2002年8月23日(金)午前10:00〜17:00
ところ Center for Self-help Development (自立開発センター)
講師 Mr.Kamal Phuyal
内容 実践編
 講師は12年以上の経験を持つPRA研究及び実践のネパールにおける第一人者である。最近もJICAに招かれ、神戸や福岡でセミナーを行っている。


はじめに
 PRAを実施するとき、気をつけなければならないことは村人と一口にいっても単純ではなく多様性を擁していることである。例えば、ファシリテーターがある村でただ1回のPRAしか実施しなかったとすれば、VDC(Village Development Center・日本の村にあたる)議長、教師とビジネスマンといった支配階級の声しか聴けないだろう。村人が彼らの前で発言することは不可能に近いからである。
 また属性に従がって、例えば、村人を男性グループ、女性グループと子どもグループに分けてPRAを実施するとそれぞれのグループの優先順位の違いが浮かび上がってくる。日本でPRAを実施したとき、自分の理想とする児童公園像をテーマにすると大人たちは必ず何らかの遊具を置きたがるのと対照的に、子どもたちだけのグループは遊具を一つも置かないことを選択した。
 このあと、3つのグループに分かれ、実際に様々なPRAの手法を使う演習を行った。

<Direct Matrix Ranking>
 富農、ポーターや貧農がそれぞれ抱える問題の優先順位を探る。

<CSDキャンパスのSocial Mappingの実習>
  会場周辺を3つのグループに分かれて、観察したことを絵や小石などを使って表現する。(写真、参照)

ファシリテーターとしての要件
 「ファシリテーターとしてふさわしい人はどういう人か」の設問が講師から出され次のような意見が次々と出された。例えば、正直な人、無私の人、愛のある人、公平な人、心・空気に敏感な人、話しをよく聞く人、経験豊富な人、相手の立場に立てる人、政治的志向のない人、忍耐強い、人の関心を惹きつけられるなどが挙げられた。
 これを講師が次の3カテゴリーに分けた。

1.態度 --------------------------ハート
   *笑顔 *他人を励ます *魅力的
*よく話を聞く *正直 *敏感
*友好的 *純粋 *公平

2.知識・技術--------------------頭脳と手
   * 論理的 *開発現場での経験

3.コミュニケーション--------------ハート
   *情報豊か*観察力が鋭い
*よく人の話をきく *分析的 *交渉能力が高い


この結果からみると理想的なファシリテーターとは例えば、自分の娘にふさわしいパートナーを探すときの基準と似ている。すなわち、彼が第一に絶対持っていなければならない資質、次に彼が備わっていなければならない資質、第三に彼が持っていた方が好ましい資質と重要度を分析的に捉えることが重要である。
 項目の数からいっても知識・技術よりも態度の面がもっとも重視されていることがわかる。あるいはこの三つの要素を人体に即してみると知識=頭脳であり、技術=手を示し、最も重要な態度はハートを意味する。PRAとはどう生きるかの概念そのものであり、人々を解放する手法の一つともいえる。
 優れたファシリテーターとして以下の3つの条件をあげておく。

1)最も疎外された人々とともに働くこと
2)開発そのものが人々に利益をもたらすものでなければならない。決してファシリテーター個人を利するものであってはならない。
3)ファシリテーションそのものの技術は問題ではない。熟練によって身につく。

☆参加者の声から

ネパールの農民と一緒にPRAをやりたかった

やしの実の会  伊東 剛

 国による状況や地域差の違いを自分の目で確かめ農村の人達との接し方やコミュニケーション方法を現場で感じとり、それを私たちの会の活動に生かしたいと思ったのが参加の第一の理由です。実際の現地視察では良い面もあるものの問題点も多く抱え支援の難しさをひしひしと感じました。地道な努力には頭が下がりましたが、問題の解決など時間がかかり長い目での支援や協力の大切さをより感じました。例えば、JAITIでは作ったあとのイチゴをどう売るかマーケティングの問題が浮き彫りになりました。NGOにとって苦手な分野ではないかと思い、その重要性を感じました。
 またPRAの講義に関しては、実際に村の人達と一緒にやってみて反応や空気を感じとりながら実習するのもより効果的ではないかと思いました。国際協力は答えがないとよくいわれますが敢えて言うならば、答えを探し続けることが答えではないでしょうか。今回の研修では農村開発の深さや難しさをより感じるものとなり、これからも多くの人たちとともに考えていかなければならないと思います。
新鮮だったPRA研修

日本・バングラデシュ文化交流会 出澤兼弥

 JAITIのカカニ農場での体験と指導する周辺農家の見学、EM方法実施農場での視察と普及方法実態などは、今は日本から直接指導に来ていないものの、現地のスタッフだけで自立しながら素晴らしい成果をあげ、手法を周辺村々へ広げるまでになっていました。指導する方、受ける方の信頼関係が作り上げた結果を見させてもらいました。
 PRA研修では、要求要望の把握について考えて見なかった方法について、勉強できました。その基本である、みんなの意見を出させるか、いかにお互いの信頼関係が築けるか、そのためにはどういう接し方をすればよいのか、自分の考えを無理やり押しつけていないか、他の人の話は聞けているか、常に行動を振り返りながら、活動していくことを基本にしていくのが事業の成功につながる道だと思いました。
PRAを実際に現場に導入――結果は上々

(特活)21世紀協会 川嶌 寛之

 今回のPRA研修は昨年度のインド研修で身につけた基礎知識をもとに、実際に自分が受益者の立場で体験してみるといったもので、具体的にどのように応用すればよいかを実感することができた。特にフィリピンのミンドロ島で7年以上滞在し、地元の少数民族マンニャン族に対する教育、農村開発にのみ従事してきた私にとって、自己評価する格好の機会となった。
 過去10年、開発手法は随分と変わってきた。「はこもの」から「草の根」へ、「デリバリー」から「住民エンパワーメント」、「住民参加型」へと毎年のように新しい造語が生まれている。
 しかし、「いかに」開発するかが議論される一方、「なぜ」あるいは、「何を」という本質論はあまり聞かれない。そもそも方法論は目的の下位にあるものであり、目的、ヴィジョン無しでは無意味である。「なぜ」「何を」を問わない開発は、グロバリゼーションに対するプロかアンチかを議論するばかりで、新しいヴィジョンに欠け、ますます困窮する世界経済の現状と似ている。
 フィリピンに帰国後、PRA実践の機会をうかがっていると、パイロット事業地で住民の土地争いが起き、さっそくPRAを導入してみることにした。教育を受けず、字も全く読めない住民であり、かなり不安もあったが、結果は上々であった。土地争いが原因で村を離れていた住民がPRAのミーティングを重ねるたびに村に戻り、住民に笑顔が戻ってきた。PRAのすぐれているところは、さまざまなツールを使うことにより、情報を村人全員が共有でき、客観的に眺めることができるところだ。それによって回答は自ずとあぶりだされる。ソクラテスの産婆法に似ているかもしれない。ファシリテイターは住民が自ら問題を解決するための産婆に徹するのだ。ネパールのPRA研修では、PRAは「なぜ」でも「いかに」でもなく、開発に対する「基本姿勢」ということで少し煙に巻かれた感じがしたが、これから住民と共にPRA活動を通して「なぜ」「何を」を探っていきたい。




第4部 NNNN(ネパールNGO連絡会)カトマンズ会議


とき 2002年8月24日(土)午前10:00〜12:00
ところ 社会福祉協議会(SWC)会議室(カトマンズ会議)

 2000年に初めて行われたNNNN(通称4N)(注)カトマンズ会議に引き続いて第2回の会議が200人近い参加を得て行われた。午前の部では4Nカトマンズ連絡員の大同敏博氏と同運営委員長である清沢洋氏の挨拶に引き続いて在ネパール日本大使館から佐藤三郎一等書記官、世界銀行ネパール事務所代表の大橋健一氏がそれぞれ次のようなスピーチを行った。

NGOへの支援を拡大
在ネパール日本大使館 一等書記官 佐藤三郎氏


 最近、外務省ではNGOとの協力体制の強化に力を入れています。ネパールは南西アジアのなかでもLDC(Least Developed Countries)の一つとされ開発のニーズが高い国です。日本は二国間援助としてはネパールに対する最大の援助国であり、人材育成、農業、医療やインフラ整備などの分野を中心に900億円の無償技術協力、170億円の無償資金協力や200億円の有償資金協力を行っています。
 外務省では1989年以降、内外のNGOを対象に草の根無償資金協力を行っています。日本のNGOに対しては、従来の草の根無償資金協力等の内容を整理・統合した日本NGO支援無償が今年6月に創設されましたが、一部本部関連経費も支援対象となるなど、支援内容が充実しています。支援が拡大すると同時に、NGOに対してもさらに外部監査などの導入による資金管理の透明性や説明責任が厳しく問われることになります。この制度に対する問い合わせや応募は本省とともに在ネパール大使館でも行っていますので気軽に相談してください。NGOの皆さんの経験と知識を生かして優良プロジェクトの応募を期待しています。

地方分権とNGO活動
世界銀行ネパール事務所代表 大橋 健一


 ネパールの開発をマクロの視点で見た場合、無視できないのは分権化の進展です。NGOの皆さんには是非、この点に配慮して活動を進めていただきたいと思います。中央政府からDDC、VDCさらにコミュニティレベルへと権限を委譲していく流れがあります。
 第一は教育の分野です。1971年にそれまでのコミュニティレベルで組織されていた公立小学校の全てを中央政府が管理することになり、改革の質がかえって悪化したといわれてきましたが、2002年4月、コミュニティが設置する学校運営委員会に学校の教員やカリキュラムを任せる方針が打ち出されました。約2万ある公立小学校のうち、100校が制度への移管を希望する申請が出ています。
 第2は保健の分野です。ヘルスポストの管理をVDCに任せる方針になっていることを活用しVDCと関わりの深いNGOこそ手腕を発揮できる環境になっているのではないかと思います。第3に世界銀行では小規模のインフラに関してはコミュニティレベルに直接、支援を行う方向を探っています。この場合、世界銀行としてもNGOの支援、協力に大いに期待しています。


(注)ネパールNGO連絡会=Nippon NGO Network for Nepalはネパールで国際協力活動を行っている日本のNGOのネットワーク。1993年6月に発足し、2002年11月現在、46団体が加盟している。情報交換や協力を推進し、NGO活動全体の質の向上をめざしている。
連絡先:NPO法人 ヒマラヤ保全協会内
 Tel:03-5350-8458
 Fax:03-5350-8459
 e-mail:ihcjapan@par.odn.ne.jp

☆参加者コメント

頻発する日本人のNGO活動の失敗を防ぐために

日本ネパール教育協力会・京都NGO協議会会長  石田 進

 私はネパールで奨学金活動を中心にしたNGO活動を始めて25年になります。かつて私はあるNGO機関誌に日本のNGOのことを「ヒマラヤから見れば、日本からネギを背負ったおいしいNGO鴨の飛来である」と書いたことがあります。在ネパール日本大使館のある書記官は「多くの日本のNGOは日本大使館に助言を求めてくるが、助言してもほとんど耳を貸さず、あまりにも簡単にだまされるケースが多い」と心を痛めていました。
 私も日本のNGOが「鴨ネギ」にならないよう、団体がお互いに協力し合ってそれぞれの一隅をも照らすよう心を配ってきましたが、やはり、ネパール人、ネパールに滞在する日本人などから騙される人は後が絶ちません。
 私はここで、誰が正しいとか悪いとかを問題にしているわけではありません。何が正しいか、何が悪いかを問題にしたいのです。当然、相手の資質が問題ですが、こちらもチャンスを相手に与えてはいけないのです。
 それにはどんな注意が必要か、どんな手法があるかのか、失敗したときの修復方法などは次の機会に譲りましょう。いずれにしても万能薬はなく、各人、各団体が失敗を体験し、直接、学ぶのがもっとも早道かもしれないと思うようになりました。そして不幸にして失敗した場合にはどうすればよいかを学ぶとともに失敗の再発を防ぐためにも多くの失敗の事例を研究することもお勧めします。
足元を見直せた一週間

財団法人オイスカ 鈴木千愛

JAITI〜本当の「自立」とは?〜
 「失敗しても聞きにくるまで教えない」「研修者募集は行わず、自主的にやりたい人が来ればいい」これだけ厳しい支援を行っているNGOに出会ったのは初めてだった。目が覚めるような思いがした。今まで私は「支援」というと「抜け出たくてもどうにも抜けられない環境下にある人たちにそのキッカケを与えること」と考えていた。でも、JAITIの活動方針を聞き、本当の「自立」の形をあらためて考えることができた。やる気、意欲を「引き出す」ような活動こそが「自立支援」と言えるのではないかと。実行する人の意欲が伴わなければ継続は不可能に近いのだから。

PRAワークショップ〜どう取り入れていくか〜
 PRAのようなどこまでも徹底的に、理論的に整理されたプロセスを示されたことで、自分の所属するオイスカの開発プロセスの特徴、課題や良い点も客観的に整理して見つめ直すことができた。
 PRAのやり方全てではなく、自分たちの活動のやり方に合わせられるものだけを、少しずつ取り入れることから始めてみたい。無理のないやり方で少しずつめざす理想の形に近づけていけたらいいと思う。ただ、PRAを全くそのままの形で取り入れるとしたら、今までのオイスカの良さまで薄れてしまいかねないし、あまり細かいところまで、そのシステムにとらわれすぎると、開発というものに温かみがなくなってしまいかねないと思う。
有効だったPRA研修

シギリヤ レディー ネットワーク 鈴木睦子

 土砂降りの雨の中を、水浸しの田んぼの細いあぜ道や、粘土質の山道を上り下りし、蛭に襲われた経験はまさにJANARDならではの研修でした。ゴム長靴を這い登って来る蛭は払っても払っても、次から次と襲ってきました。イギリスのサセックス大学教授のR・チャンバースは、「表面に現れない貧困(unperceived poverty)」を指摘しています。現地政府など援助機関の人びとは、雨の降らない乾季の天気の良い日に、車で行ける幹線道路脇の、比較的恵まれた村人の生活しか見ないため、本当の貧困は知られることはないと。研修参加者は、ネパールの農村の現実を五感で体得できました。
 PRAの講義と実習は非常に勉強になりました。今まで誰からも注目されなかった村人が、プロジェクトづくりに参加することは、思考力や認識力を刺激するのに有益と考えます。村人自身が、生活を見直し、向上したいという意識を持ち、行動することが一番重要です。結局、私たちは外部者であり、彼らを側面から応援することしかできないことを、私も実感しています。PRAを私たちの現場でどのように活用できるかは試行錯誤が必要です。状況にあった良い形のPRAを考案していけたらと考えます。また、日本やスリランカでの会の運営自体にもPRAを取り入れてみたいと思います。TQCの方法とどこか通じるところがあります。皆が参加し意見を述べることは、関係者の意識づけ、責任感を育てるのに大変役に立つと思います。
子どもたちに教育を与える豊かさを

やしの実の会 星野亜季

 JAITI滞在中、私にとって最も新鮮だったことは、ネパールの子供達と遊んだことだ。折り紙やお絵かきをしていると、子供達が皆、自分の名前を私のノートに書いてくれた。一番上のお兄ちゃんがネパール語と英語で名前を書いたので、「英語を知っているの。」と聞いたら、「学校で習っている。」と言い、私が少し英語を理解できることがわかると、他の子供たちも片言の英語を話し始めた。皆、学校で習ったことを言い始めて、私はなんだかとても明るい気持ちになった。子供達は好奇心に溢れていて、とても輝いていた。この子達から知的好奇心を奪う権利が誰にあるのだろう。
 イチゴ農家は他の農家に比べ収入が多く比較的豊かであると聞いた。近郊農家の人々は物質的豊かさを求めがちであるようだが、この子供達が教育を受けられる豊かさを生んだJAITIを私は素晴らしいと思った。開発援助とはこのように素晴らしい変化を与えるものなのだ。開発援助に関わる多くの方がそれをめざして努力されているのであるが、成功することはなかなか難しいらしい。
 では、どのように開発援助を行えば良いのか。これについてはJICAのことが参考になった。JICAでは開発プログラムの期間が決まっており、その中で参加型農村開発の手法を取り入れ、もっとも大切なことはプログラムが終了してもその開発が円滑に進むシステムを作ることだという。つまり長期的な支援はあえて行わない。一方で、NGO団体はその長所の一つとして長期プログラムができる。しかし、資金面ではJICAにくらべ圧倒的に苦しい。これからはお互いの短所を補うJICAとNGOの協力が必要不可欠である。
ネパールの村歩き7年間 方向は間違っていなかった

垣見一雅

 JAITIを訪問し、村人たちに直接話しかけるチャンスがあり、今の問題点を聞き出すことができました。いろいろ問題があるにせよ、あれだけのプロジェクトを行うことは大変な努力が日本側、そして村人側にもあったと思いました。村人曰く、「俺達昔、とうもろこしと小麦だけの頃は、金には不自由してたけど時間はたっぷりあったよ。のーんびり毎日を過ごしていた。いちご、作ってから忙しい。手入れに追われる。だけど金は入ってくる」「どっちがいいの」と私が尋ねると、「やっぱり金がある方がいい」と村人。日本人と同じ思いなのでしょうか。
 またJICAやPRAの講習も非常に参考になりました。私は「Learn by Experiences」と日頃、言ってきましたが、JICAの方は「Learning by doing」と言い、現場主義を大切にということでした。泳ぎ方を学びたい人が理論を学んで水に飛び込むのではなく、水に飛び込んで無我夢中で泳げるようになったのに似ています。またPRAのなかで特に役割が重視されているファシリエーターの資質も知識・経験よりも「人々の声によく耳を傾ける」人格が大切ということでした。自分の心のありようを改めて見直せなければと気を引き締めた。

(注)垣見さんは1939年、東京生まれ。英語教師を勤められたあと、1993年より単身、ネパールの中西部、パルパ県ジャルパ郡ドリマラ村に住み、支援活動を開始。現在、日本の様々な団体や個人からの支援で、「村の小学校建設や修理」「子どもたちや教師への奨学金」などの様々なプロジェクトを行っている。その一つ、チース村での「灌漑用水路建設」プロジェクトに関してはJOFICが支援している。(第4回ワークショップ参照)
【参考文献】OKバジ 垣見一雅 サンパティックカフェ発行 本体 1800円+税





第3回・茨城:NGO活動の実践事例から学ぶ

 今日、わが国においては全国各地の団体や企業、個人などによる国際協力活動が行われています。そして、その活動を実施するにあたり、農業生産技術の指導や衛生環境の確保、生活改善といった専門的、技術的な面を含めて多くの対策や支援が求められるようになっています。そこで今回は国際協力の現場において具体的な実践活動を行っている団体の事例をもとに情報交換、意見交換を行い、今後のあり方について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。



開会の言葉  小野瀬武康 (NGO茨城の会 事務局長)
挨拶  野村憲一 (財団法人 茨城県国際交流協会 専務理事)

佐藤静代 (特活・ICA文化事業協会 理事長)
基調講演  中野正則 (外務省民間援助支援室 課長補佐)

藤盛隆志 (農林水産省総合食料局国際部 技術協力課課長補佐)
ケーススタディ

(1)バングラデシュにおける生活改善への取り組み


出澤兼弥 (日本・バングラデシュ文化交流会)

(2)エチオピアの実情と今後の取り組みについて


山田 進 (エチオピア未来の子ども)
ワークショップ

今後求められる国際協力のあり方について


佐藤静代 (特活)ICA文化事業協会


とき 2002年10月26日(土)
ところ 財団法人茨城県国際交流協会
協力 NGO茨城の会
(特活)ICA文化事業協会


基 調 講 演


外務省とNGOの連携の重要性                  

外務省民間援助支援室 課長補佐 中野正則


NGOの課題
 1980年代以降、日本でもNGO活動が活発になってきましたが、欧米の先進的なNGOに比べると組織、財政基盤や組織運営能力の点でまだまだ遅れているのが実情です。例えば、2000年度の収入でいえば、世界最大のNGOであるワールドビジョンが553億円、ケアが499億円、OXFAMが128億円であるのに比べて、日本では最も大きなオイスカでも9億円に過ぎません。また有給スタッフ数でいえば、OXFAMが約700人であるのに対して、オイスカは41人に過ぎません。(添付資料1 参照)

 またODA総額のNGO支援の割合が諸外国に比べて低いのも事実です。例えば、アメリカでは33.6%、オランダが1.08%、カナダが9.7%、イギリスが3.8%に対して、日本は日本のNGOに対する支援に限っていえば0.51%に留まっているのが現状です。

 また組織運営面においても、今後、NGOに対してますます、その活動や財政内容に関する説明責任が求められようになるのは必然といえます。それに答えうるだけの力をつけていくことが不可欠です。

政府の取り組み-連携と支援
 こうしたNGOの課題を踏まえ、政府はODA政策の立案やODA事業の実施にあたって(1)NGOとの連携とNGOに対する支援(2)NGOのキャパシティ・ビルディング(専門性、組織運営能力の向上)に積極的に取り組んでいます。

 まず連携については、1996年度より年に4回、NGO・外務省定期協議会を開き、意見交換を行っています。また1997年度からはNGOとの共同評価も行っています。 また支援プログラムとしては、従来の草の根無償資金協力等の内容を整理・統合した「日本NGO支援無償資金協力」を日本のNGOを対象に2002年6月に創設しました。この資金協力においてはこれまで認められていなかった、一部本部関連経費等も支援対象となるなど、支援内容を拡大しました。また一方で、NGOに対しては外部監査などの導入による資金管理の透明性や説明責任を求めています。

 NGOのキャパシティー・ビルディングに資する支援については、2001年度にアメリカでNGO職員向け研修プログラムを実施したのに続いて、2002年度にはイギリスで研修を実施する予定です。また2001年度より、保健・医療、教育、農業・農村開発の分野別研究会開催の支援を行っています。

 さらに、1999年度より開始したNGO相談員制度およびNGO専門調査員制度については2002年度よりNGO相談員を全国各地のNGOに29名配置するとともに、NGO専門調査員を15名、NGOに派遣しています。

  今後、このような研究会の開催を通じてNGOの力量がアップし、NGO間及び政府諸機関とのネットワークが広がることを期待しています。

問い合わせ:
外務省経済協力局民間援助支援室
TEL.03−3580−3311内線(5883、2906)
FAX.03-6402−2146
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/



基 調 講 演


農林水産省のNGOに対する支援について                  

農林水産省総合食料局国際部 技術協力課課長補佐 藤盛隆志


 国際協力活動におけるNGOの役割の重要性がますます大きくなるなか、農林水産省ではNGOに対する支援を国際農林業協力会(AICAF)を通じて行っています。その主な内容は次のとおりです。

1)専門家派遣支援
 NGOが確保困難な専門家を海外の協力現場に派遣し、現地で技術指導等を行う事業を支援します。例えば、2001年度にはアジア学院の求めに応じてミャンマーに技術者2名をそれぞれ30日と20日間にわたって派遣したほか、ICA文化事業協会のネパールのプロジェクトに127日にわたって1名を派遣するなど13団体に対する支援を行っています。

2)人材育成
 日本のNGOが協力している現地NGO関係者を近隣の類似協力事業へ派遣し、関係者同士の交流を通じて現地NGO関係者等の育成を図っています。例えば、2001年度には日本国際ボランティアセンターのラオスの農村開発プロジェクトから5名のラオス人をカンボジアの同団体のプロジェクトに送り出すなど4団体の南南交流に力を貸しています。

3)NGO受入研修専門家派遣支援事業
 NGOによる現地NGO専門家・農村指導者等の受入研修に対し、NGOが確保困難な日本人専門家の講師派遣を支援しまています。2001年度にはアジア学院に計5回にわたって「農薬の危険性」などのテーマで講師を派遣しています。

4)国内NGO専門家研修事業
 NGOと共催し、NGO専門家等を対象とした研修を開催します。昨年度はアジア学院と日本国際ボランティアセンターと各1回、開きました。

5)技術指導書の発行
 分野別テーマについて、NGO向けの技術指導書を作成し、農林業関係NGOに配布します。過去3年間で「村々の開発を目指すNGO活動ハンドブック」「果樹剪定ハンドブック」「熱帯土壌の土つくりハンドブック」を作成しています。

6)NGO列島縦断フォーラムの開催
 NGO活動を市民の方々や行政に理解して貰うため、毎年1回、地域を定めてフォーラムを開催しています。過去3年間は富山、秋田、高松各市の順に開催しています。その他に、年に2回NGO活動を紹介する情報誌を発行しています。

問い合わせ:
国際農林業協力協会(AICAF)
TEL.03−3263−7377
http://www.aicaf.or.jp/ngo/



ケーススタディ(1)


バングラデシュにおける生活改善への取り組み                  

日本・バングラデシュ文化交流会事務局長 出澤 兼弥


設立の経緯
 ガンジス川の河口に広がるバングラデシュでは、自然災害が多く、家や農地を失う人がたくさんいます。特に農村地帯では、インフラの未整備や衛生観念の低さから栄養失調、細菌性下痢、眼病、幼児の発育不全などが多くみられます。
 当会が誕生した経緯は、1983年から86年にかけて、青年海外協力隊員としてバングラデシュで活動してきた元隊員たちが帰国後、10年にわたり交流、協力活動やバングラデシュの文化紹介活動を行ってきた過程で、1996年に有志が集まり、「協力と交流活動を推進し、世界の平和と親善に寄与することを目的に設立されました。現在、「農村巡回型生活改善活動」「住民参加型学習」等を実施し、生活改善に向けた住民の意識の向上に取り組んでいます。
 活動している地域はバングラデシュ西部、インドのカルカッタに近い地方、ジェソール地域シャシャ郡です。人口は2001年6月現在、約30万人。約7万4千世帯のうち9割が農業に従事しています。また、そのうちの15%が土地なし農民です。

主な活動内容
(1)栄養改善指導
 バングラデシュでは栄養のバランスが悪く、栄養失調などの病気が多く見られます。そのため乳幼児死亡率も高くなっています。バザールで値段の高い食材を買わなくても身近に手に入る食材(野草種も含めて)を見直すことによりバランス良く栄養を摂取することを学習しています。

(2)保健衛生指導
 同じ池の汚れた水で家畜を洗ったり、人が水浴びをしたり、食器を洗ったり、洗濯をするという光景はあちらこちらで見られます。約30%の世帯にトイレがありません。そのため細菌性の下痢、皮膚病などに罹患する人が多く見られます。生活環境を清潔にすることが健康な生活につながっていくことを学習しています。

(3)地下水の砒素対策
 地下にある砒素が井戸水に含まれるようになり、長年知らずに飲んでいた住民に砒素中毒症状が現われ深刻な問題となっています。(注)最悪の場合にはガンを引き起こし死亡するケースも多いのです。私たちは常時、村の井戸水の砒素検査をして、危険な井戸は村人に使用しないよう伝えています。
 また栄養の視点からも砒素問題に取り組んでいます。動物性タンパク質、ビタミンA・C・Eをバランス良く摂るためのバランスフードを住民に紹介するとともに戸外での調理教室も開いています。

(4)経済的自立
 バングラデシュの伝統刺繍「ノクシカタ」を使った手工芸品は女性が参加できる現金収入が得られる方法の一つです。特にシャシャ郡の女性たちはより伝統的な技法が優れていることで知られています。その特性をいかし、安定した収入を得て経済的自立のみならず、女性たちの社会参加にも役立っています。
 また、その貴重な収入を使って例えばトイレを作ったり子供の教育のため貯金をしたり、直接生活向上につながる計画的な生活設計を提案しています。

(5)家計経済
 家庭の収入、支出を一日、一日、家計簿に記入することで無駄な出費をなくし、計画性のある家庭運営をめざすようセミナーなどを開いています。

活動方法
農村巡回生活改善セミナー(年14回)
スペシャルセミナー(年6回)ハイスクールとの協力体制のもとで実施
栄養改善調理実習セミナー(年28回)
戸別訪問・カウンセリング・アドバイス・・各種セミナーで学習したことが日常生活で活かされるようフィールドスタッフが各家庭を回りながら、きめの細かいアドバイスをしています。住民の良き相談相手であるための努力をしています。
 このほか、バングラデシュのスタディツアーやバングラデシュ人現地スタッフの日本研修などを通じて文化交流にも努めています。

(注)インド・バングラデシュ両国にまたがるガンジス川下流域では、ヒ素を含む地下水の飲用が住民に深刻な健康被害をもたらしている。インド側では1983年に最初のヒ素中毒による患者が発見されて以来、1987年には1,214人、1994年には17万5千人、1995年には20万人以上の患者が確認され、調査が進むにつれその深刻な被害状況が明らかにされてきている。また、バングラデシュ側では患者数は確認されていないが、1億2千万人の人口のうち5千万人が汚染地域に住んでおり、ヒ素中毒の危険 に曝されている。
 その原因は解明されていない点も多いが、今のところ次の二つが指摘される。一つはアメーバ赤痢などの感染症を予防するための衛生教育が普及するとともに、人々が飲料水の供給源を池や川から井戸水に切り替えたことである。そして皮肉にもこの一見、清浄な井戸水にヒ素が含まれていた。もう一つの点は地下水を利用した灌漑面積の拡大である。地下水利用の急激な増大による水位低下がヒ素汚染を生んでいる。
 こうした実態にもかかわらず、患者救済や住民に対する啓蒙活動、安全な飲料水の確保への取り組みは、まだほとんど進められていない。現在、インドの研究者をはじめ、WHO、UNICEF、世界銀行なども調査を行っているが、日本からもアジア枇素ネットワーク(AAN)と、応用地質研究会(RGAG)が1996年から現地に入り、ヒ素汚染メカニズムの解明と人々の支援を行っている。


同団体・連絡先
〒189-0022 
東京都東村山市野口町1-22-16
サンライズマンション 101
TEL/FAX 042-396-3063



ケーススタディ(2)


エチオピアの実情と今後の取り組みについて                  

エチオピア未来の子供 事務局長 山田進


設立の経緯
 私たちの団体はエチオピアの食糧不足を解決し、経済的自立をうながす人材育成に協力することを目的に1997年に設立されました。代表であるタスファエ・ガライヤはエチオピアに生まれ、アメリカの学校に学び、現在は陶芸家として家族とともに日本に住んでいます。私たちは彼の「過去30年間にわたって飢餓や内戦に苦しんできた祖国の人々を支援したい」という熱い思いに強く共感し、ともに活動してきました。今までチャリティーパーティーや大好き茨城県民祭りでのバザーなどの活動を行ってきました。

NPO法人へ
 2002年1月25日にはNPO(特定非営利活動法人)の認証を取得しました。その目的は、エチオピアの人々に対して農業知識や技術を指導することにより恒常的な食料不足の解消を図るとともに,自然災害の発生等による被害に対し援助物質の供給等の支援活動を行うこと、国内外のボランティア団体と連携し国際援助活動を行うことにより国際社会の発展に寄与することにあります。

現地調査を実施
 まず、活動としてエチオピアのレベレスケ地方に農業学校を建設することをめざしています。そのため、2002年8月26日から9月5日にかけて現地を訪問しました。現地は当会がコンタクト先としている現地NGOの推薦によるものです。
 アジスアベバで面会した農業省スタッフから、現在、同国で28ヵ所に職業訓練センター(農業、工業、商業など)を2001年から下記の要領で開校しているとの説明を受けました。

生徒数 1ヶ所3000〜5000人
教育期間 3年
対象 高校卒業者
講師 インド人、中国人各学年約10名
9月1日、アラゲ農業専門学校(ズワイ地方)を視察しました。(アジスアベバから210キロメートル)


農業学校建設予定地、訪問
 候補地はアジスアベバから北へ100キロメートルほどのレベレスケ地方にあります。人口は約5000人、海抜1680メートルの高地です。耕作面積は約120ヘクタールで平均気温20度前後、湿度30%前後と爽やかです。1974年〜1991年の社会主義政権下に整備した灌漑施設建設がエチオピア人民革命戦線、現政権によって中断されています。なお、水源は14ヵ所から湧き出ている湧水でした。赤カブ、ニンジン、キャベツなどが栽培されていました。土質は火山灰混じりの土で保水力が乏しく、酸性土で痩せています。土壌改良を施さない限り、農業経営は困難に思われました。

今後の課題
(1)今回の訪問はエチオピアの雨季(6月〜9月)のため、緑も多くすばらしい環境のように思えましたが、乾季はどのようになるのか、さらに調査が必要です。また土壌が火山灰質であることから、農業を行うのに適しているかどうかの精査が必要に思われます。土壌や農業の専門家の協力を得ることが不可欠です。

(2)今回は個人的なコンタクトに頼ることが多かったが、今後はそれだけでなく大使館やJICAなど、より広範なルートで情報や人材を求めることが重要と思われます。

(3)当会はまだ発足直後ということで、財政的にまだまだ規模が小さく、今回の視察も殆どが個人のポケットマネーで支出しましたが、それだけでは限界があるだけに公的な支援を仰ぐことができないかと思います。

問い合わせ先
319−0312 茨城県東茨城郡内原町大足990−1
TEL.FAX 029-257-0733
e-mail:ethiopia@sea.plapla.or.jp



ワークショップ


今後求められる国際協力のあり方について                  

(特活)ICA文化事業協会 理事長 佐藤静代


参加者を3つのグループに分け、世界、日本とNGOのそれぞれの過去(1970〜1990)、現在(1990〜2002)そして未来(2002〜2010)をキーワードで表わす作業を行いました。

 その結果は以下の別表のとおりです。こうした総括を踏まえて、それぞれ次の点についてさらに考えを深めるよう課題が出されました。
3〜10年先に実現したい国際協力
3〜10年先に実現したい将来の夢や希望
あなたやあなたの仲間が具体的に望んでいる事柄、また表面に現われていない将来、発展の可能性のあるもの

 佐藤氏は「こうした問いかけを絶えず自らに行うことによって、突然のひらめき、またはうまく行きそうで心が惹かれるアイデアが浮かぶこともある」とアドバイスをしました。

 その他、会議の席上、以下のような質疑応答がありました。
5年前からロシア支援交流基金から助成を得て、ウクライナなどの白血病や小児ガンの子どもたちにセシウムを排出するための医薬品を支援しているが、ベラルーシがODA対象国でないため、援助ができないでいる。何か、手立てはないか。(チェルノブイリの子どもを救う会)
ODA対象国でないと協力は難しい。(外務省)
昨年度から実施されている外務省支援の研究会は東京が中心のことが多く、もっと地方での開催が望ましいと思う。外務省へ直接、問い合わせるには勇気がいるし、外務省側もすべての問い合わせにこたえていられないと思うので、別の形でのコミュニケーションが求められているのではないか。(OISCA)
各県の国際交流協会などを通じて地方での開催を積極的に行いたい。(外務省)


過去〜未来を見渡す図


過去 1970〜1990 現在 1990〜2002 未来 2002〜2012

国家対立の緩和 グローバル化と不安定化 戦争から平和の時代へ
NGO 農業指導中心 阪神大震災後活動の輪が広がった 将来、住民の自立でNGOを通しての交流活動を促進

1960年代 オイスカ、インドで農業指導 小規模NGOの増加 物の豊かさはほどほどに、精神面を重視する

1980年代 茨城オイスカ、誕生 NGO茨城の会の誕生

ネグロス島でデイケア実施 NPO法の成立

1990年代 NGOと外務省の協力関係、緊密化 ITメールの活用

OISCA、JVC、シャプラニールなどの先駆的なNGOの誕生 大学などで国際協力への関心


体験型旅行、海外へ行って学ぶ人が増える
世界 大量生産、大量消費、大量廃棄 環境破壊・IT革命・貧困の拡大 平和な地球村の実現

経済発展期(先進国のみ) アメリカ同時多発テロ 貧困の撲滅

東西冷戦の終結(ベルリンの壁崩壊) 天安門事件 イラク攻撃

ベトナム戦争、終結 アフガニスタン攻撃 高度情報化社会の到来

アメリカ、ニクソン訪中 インターネットの普及 子どもたちの笑顔

中国の市場経済への移行
日朝国交正常化

カンボジア内戦
敗者の出ない社会とする

地球温暖化

日本 不良債権 阪神大震災 循環型社会

JAL機墜落 オウム真理教、サリン事件 和の心

つくば博 バブルの崩壊 国際協力に関わる人の増加


平成の登場 外国人の住みやすい国になる


ワールドカップ 日本の少子化が改善される


原発事故 若者が夢を持てる社会


IT化 都市と農村のバランスがとれる


少子高齢化 人と人との交わりを大切にする社会





第4回・千葉:持続可能な農業技術を学ぶ


 開発途上国で農業支援をする場合、土壌劣化を改善することが基本となります。今回、内外の事例をもとに、農業活性化あるいは農村開発とはどのように行われるかを学びます。



ケーススタディから学ぶ
  (1) 土作りが農村を救う(ギニア共和国)
     −有機肥料による農業活性化の試み
    サパ=西アフリカの人達を支援する会 事務局長 野澤眞次
  (2) ネパール・東パルパ地域における灌漑用水路の設置
    世界の子どもと手をつなぐ会 代表   坂田喜子
講 演
  循環型農業をめざして
  かんらん車 代表 堀越一仁
見学会
  地域循環型農業に取りくむ農場の見学
  成田手づくり実践館  堀越農場


とき 2002年11月16日(土)
ところ 千葉県成田市 遠山公民館


事例紹介(1)


土作りが農村を救う(ギニア共和国)− 有機肥料による農業活性化の取り組み                  

サパ=西アフリカの人達を支援する会 事務局長 野澤眞次


はじめに
 世界の途上国の殆どは熱帯地域に存在しています。これらの途上国の発展を妨げているのが「貧困」です。その貧困の遠因として、熱帯林の激減森林消失があります。熱帯林は地域住民に衣食住を供給するする機能とともに、雨水を貯え豊かな農業用水を田畑に提供しています。このように地域住民にとってかけがけのない森林の減少は、人々の生活基盤の崩壊をもたらし、貧困の遠因となっています。
 一方、熱帯地域に住む人々の食糧生産の大半は焼畑栽培に依存していますが、これらの地域では「土地に有機物を戻す」「土をつくる」という発想はありませんでしたが、かつては一度、焼畑を行えば土地は5年以上休ませ、地力を回復させる知恵がありました。しかし、人口急増のためにローテーション期間が短縮され、土壌の劣化が進み、農作物の減収のために食糧不足が加速される構図になっています。これが貧困の近因です。遠因とあわせ、農村から都市のスラムへと移動する原因といわれています。

ギニア共和国
 ギニアの国土面積は、24.6万平方キロメートルと日本の本州とほぼ同じで、国土の一部はギニア湾に面し、南の熱帯雨林型から北のサバンナ型と多様な気候帯に属しています。主食は米ですが北部はミレットやソルガムといった雑穀が占めます。南部では雨季が6ヶ月あり、年間の降雨量が3〜4000ミリに達しますが、灌漑設備が少ないため陸稲しか栽培できません。長年の酷使で土壌が痩せているため、1ヘクタール当たりの収量は700キロ前後しかなく、日本の平均収量5トンとは大きな開きがあります。また畑の3分の1ではピーナッツが栽培されていますが、中には小指の先ほどの大きさのものもあり概して小粒です。

三つのニーズ
 ギニアの農民のニーズは大きく次の三つです。第一は、腹いっぱい食べるための「食料確保」、第二はマラリアなどの「風土病予防」、第三は技術習得による「現金収入」です。この3点はギニアに限らず発展途上国共通のニーズです。これらが充足されれば、貧困が解消されるというのが私たちが活動体験から学んだ原則です。

現状
 私たちは現在、ギニア共和国内でも最貧地域の一つであるモロタ村、サムレヤ村、サナワリア村の3村で活動しています。中でもモロタ、サムレヤの各村はかつて豊かな熱帯林がありましたが、もはやその面影はありません。モロタ村の70歳代の長老は「50年前までのモロタ村は鬱蒼とした熱帯林が村を取り囲み、森に行けば食べ物はすぐに手に入った。今のように1日2食しか食料がなく、ひもじい思いをすることはなかった。」と話しています。また森林伐採のために林地の貯水機能が激減し、本来なら優良農地である川沿いの農地が冠水し、上流では土壌浸食による表土流出が続いています。

森林再生のために
 こうした問題解決のための方策として考えたのが「森林の再生」と「農地の活性化」の二つです。私たちはまず森林再生をスタートさせました。植栽樹種は地域住民に役立つものとして、食料になると同時に換金性の高い果実をつけるカシューナッツ、マンゴー、ネレ(マメ科)などを選びました。過去3年で約200ヘクタールの伐採跡地に約4万5千本のこれらの苗木を植えました。伐採跡地には切り株が残っているため、そこから萌芽した稚樹との混交林に造成することを目的としています。新しく植えたものと、もともとあった樹種とのバランスを見ながら、将来的にはかつて存在した熱帯林の樹種構成に近づけることを目指しています。植栽樹種のなかにはカシューナッツほか、早くも一部結実し始めています。住民たちの食糧不足の緩和と現金収入になると期待しています。

「堆肥とボカシ肥」
 森林再生活動と平行して地力の衰えた畑地の活性化に取組んでいます。そのために日本の伝統有機肥料である「堆肥とボカシ肥」を活用しています。
 まず、堆肥といえば、日本では化学肥料の導入前、刈り取った草や樹木の枝葉を牛舎内に敷き牛の糞尿で発酵させ、田畑に主として元肥として鋤き込んで使用していました。ギニアでは以下を堆肥の原料として使用しています。1)落葉、枝葉、腐葉土 2)稲ワラ 3)カヤ草 4)家畜(主として羊、ヤギ、牛)モロタ村では草や葉を牛糞と混ぜ、さらに同地で盛んに栽培されているアブラヤシ(同地、原産で自生も多い)の実を搾った後のアブラの搾りカスの廃液を発酵促進剤として利用しています。2週間に1度切り返え、1ヶ月で完成します。モロタ村の多くの農家が生産を行い、畑に施用しています。

 またボカシ肥は海外では勿論、日本国内でもあまり知られていませんが、日本の伝統的な有機肥料です。植物油の搾りカスや魚カス、米ヌカなどに山土などを混ぜ発酵させたものです。ボカシの名称は原料に山土を混ぜることにより、肥料から発生するアンモニアガスを吸着させ、速効性はなくなるものの効力を長続きさせることに由来しています。

 ギニアでのボカシ肥の原料は、1)油ヤシの搾りカス 2)米ヌカ 3)骨紛を主体にこれらを攪拌して水を加えると、1〜2日後に40〜60度に発熱し発酵が始まります。毎日1回の切り返しを行い、5〜6日後に同等量の山土(粘土)を加え、切り返しを継続すれば2〜3日後に「ボカシ肥」が完成します。米ヌカや油カスなどの廃棄物を活用した「ボカシ肥」作りはコストもかからず、土づくりには最適です。

 こうした有機肥料の効果を試すために、2002年に初めて村の試験圃場に4区画に分けてイネを植えました。1)は堆肥とボカシ、2)は堆肥だけ、3)はボカシだけ 4)は無肥料としました。写真をご覧いただくと一目瞭然で肥料効果のほどがわかります。堆肥とボカシの両方を与えたものほど、分株が無肥料の2倍以上、進みそれだけ穂の数が多くなることを意味します。また、有機肥料だけでなく、西アフリカになかったマルチング(土をビニールや藁などで覆うこと)の技術も指導しています。これは雨期には雨滴の衝撃を和らげ土砂の流失を防ぎ、乾期には土中の水分の放散を防ぐためのものです。

新種野菜の導入
 私は企業マン時代東南アジアで新しい日本産の野菜種の導入に成功した経験を 持っています。東南アジアと同緯度のギニアでも成功するとの確信のもと、日本産の野菜種を導入し堆肥やボカシを使った栽培も始めています。ホクホクしたエビスカボチャの種子を日本から持ってきて栽培したところ「ケーキのようにおいしい」と市場で大変、好評を得ています。地元の水分の多いカボチャの5倍の値がついたり、ボカシを施肥した畑で収量が2倍になるなどの効果が現れています。

研修センター建設
 2002年4月、有機肥料を専門に学ぶ、宿舎つきの研修センター(定員10名)をギニア国内のサナワリア村に建てました。施設は「研修生が寝泊りできる宿舎」(定員10名)と講義室(定員20名)と堆肥とぼかし肥の生産小屋及び肥効を確認する栽培試験場などです。
 1〜2ヶ月のコースでボカシ肥や堆肥づくりの技術を習得するものですが、既に1期生が巣立ち、今、2期生が学んでいます。年間60名の各村のリーダーを育てる予定です。お蔭様で評判がよく、定員の3倍の申し込みがあります。新聞もなく郵便事情も悪いため、研修生募集の呼びかけはラジオを使っています。今後各地にセンターを増やし、「堆肥とボカシ肥」の生産による「貧困解消」に寄与したいと念願しています。
 このほか、村の子どもたちが学ぶための学校建設、川に多いギニア原虫の感染を防ぐために、飲料用の井戸掘りのプロジェクトも行っています。



事例紹介(2)


ネパール・東パルパ地域における
灌漑用水路の設置
                 

世界の子どもと手をつなぐ会 代表 坂田喜子


はじめに
 私たちの会は1980年に新聞に掲載されたオランダのNGOであるNOVIBの「食卓にもう一人お客様を招くつもりで貯金するー食卓の貯金箱」運動の趣旨に賛同し、日本で活動を開始したのが始まりです。  

 当初はNOVIBから貯金箱を送ってもらっていましたが、今では会独自の運動を行っています。会員は約500名います。年3回の貯金箱の回収は、「開発協力金」として6ヶ国、7つのプロジェクトに送られます。インド南部農村の栄養失調の子どもたちへの給食サービスやペルーのリマ郊外のスラムの子どもたちへの教育支援のほか、バングラデシュ、ネパール、フィリピン、ボリビアなどでも支援活動を行っています。

 私たちの活動は一つのプロジェクトを10〜15年と継続して支援するのが特徴です。そのうちの一つが現在、取り組んでいるネパールでの灌漑用水路建設のプロジェクトです。

OKバジとの出会い
 ネパールの首都カトマンズから南西3百キロの距離にあるのが東パルパ地域です。カトマンズから車で6時間行くとタンセンに着きます。タンセンからジープで4時間行くとドリマラ村に。さらにそこから山に分け入り5〜6時間、歩いたところに私たちが支援している村があります。この地域の村に支援を開始したは現地でOKバジと呼ばれている垣見一雅さんとの出会いがあったからです。
 彼は東京のある高校で20年以上、英語教師として勤めていました。ヒマラヤでのトレッキングの最中、雪崩に会い、九死に一生を得るという経験をしたことから「助かった命をネパールの人々に恩返ししたい」とネパールに住みついて9年になります。東パルパを中心に村から村を歩いて教育、保健医療、生活向上へ向けての経済活動など様々な分野で農村開発を行っています。私達の会とは1995年から彼を通して同地域の村との交流が始まりました。

灌漑プロジェクトに着手
 灌漑用水路建設のプログラムは国際ボランティア貯金の助成金を受けてチース村とマダンプール村の2ヶ所で建設を行っています。チース村の用水路は村の上流3.2キロの所に取水口を設け、そこから用水路を作って村の田に水を引く。そのため水路をのみで一のみ一のみ打ち砕いて行きます。作業は、乾季の10月から3月までの6ヶ月。工事を開始したのが2001年9月ですから、ちょうど2年目に入ったばかりです。

全て手彫りで一のみ、一のみ
 険しい山肌ですから機械を入れるわけにはいきません。手掘りでノミとハンマーを使って、こつこつと村人25人が1チームとなり、一日、5メートル岩場を掘り進んでいます。水源から村までの水路を見極めていくのが「神の手」と呼ばれる「手」を持つ74歳になる男性です。彼はアグリと呼ばれる岩掘り専門家で、これまでに29ヵ所の用水路を掘ってきたベテランです。2002年3月1日現在、水は取水口から500メートルまでのところに流れてきました。村に行き着くにはあと2年かかる予定です。村人たちは農地面積の割合によって無償労働をしますが、それを越えた場合には日当を払うことになっています。

コメは9ヶ月分だけ
 このあたりの村は急な山の斜面にへばりつくように点在し、畑は全て段々畑。水不足のためにコメは作れず、とうもろこしが主食です。ただその収穫量も充分でなく、9ヶ月分を賄うのが精一杯です。その不足を補うため、人々は商店で安いコメをつけで買い、乾期の10月〜3月にかけて男性が町に出稼ぎに行って借金を返す生活をしています。その稼ぎが充分でなく、借金のかたに土地をとられるのも珍しくありません。

用水路で村が変わる
 こういった状況を一変させる可能性を秘めているのが用水路です。水さえくれば、水汲みから解放され、8月〜11月にかけてコメが生産できます。そしてコメを収穫した後は小麦とナタネが栽培できます。遊休地も有効に使え、家族も出稼ぎに行かなくてすむでしょう。作物を売ったお金で子どもを学校へやることができるかもしれません。
 東パルパ一帯の村々は、山岳地帯なので家畜用も含めた飲料水の問題は切実です。垣見さんの住むドリマラ村は、学校や簡易宿泊施設は日本からの支援でできました。しかし、最も望まれた簡易水道の設置には10年の歳月が必要でした。植林をして水源に貯水されるようになるまで10年かかったからです。
 垣見さんが村人と用水路ができた時の話をすると、マダンプールとチースの村人の顔はほころび目はきらきらと輝くそうです。今、完成後の用水路の維持管理をどうするか、他の村の事例も研究中です。2年後の完成を誰もが心待ちにしています。



講  演


循環型農業を目指して                  

かんらん車 代表 堀越 一仁


はじめに
 かんらん車は1998年に無農薬有機栽培をめざす若手農家10名が集まり、結成しました。2002年11月現在、仲間も15人に増えました。そのうち5人が20代です。またメンバー全員が千葉県のエコファーマー認定を受けています。一戸当たり約50アールで有機栽培を行い、学校給食用や市内のスーパーなどに出荷するほか、市内ショッピングセンターで専用の売り場でも販売しています。

 会員の一人が有機農業をめざすようになったきっかけは30年ほど前に、恐らく化学農薬が原因と思われる病気にかかり1〜2年の療養生活を余儀なくされたことから始まっています。その後、有機栽培を始め、アトピーや化学物質過敏症等の人たちと交流するなかで生まれてきました。

堆肥作り
 事業としてはまず学校給食などの残りを使った堆肥づくりがあります。成田市の学校給食はセンター方式で、ここから排出される分別済みの食品残さを年200回くらい、毎回約1トンを収集しています。また、成田市内のショッピングセンターのスーパーや食堂などから排出される全ての食品残さ、年間約17トンは併設された処理施設内「生ごみ再資源化設備」で分別され、ぬかと混ぜ発酵菌による発酵を行った後、乾燥袋詰めし、「かんらん車」に引き渡されています。
 こうした堆肥やボカシ肥料を作って土づくりを行い、化学肥料は一切、使っていません。最近、有機農業の認定制度を農水省で始めていますが、逆に化学肥料や農薬の使用基準の上限が定められたために、完全に有機農業を行っている農家と基準内の化学農薬や化学肥料などを使用している農家とが区別できないという、消費者にとっては紛らわしい状況になっています。そのため、私たちのグループではJASの有機農業認定は申請していません。
 化学肥料を使用しないだけでなく、病害虫防除にも黒砂糖を発酵させたものやニンニク・トウガラシを原料にした防除液、木酢などを使い、化学農薬は基本的に使用しないのが特徴です。
 また、学校給食残さやショッピングセンターのこのコンポストを使うに当たって有害物質の含有の有無を専門機関に委託して検査しました。その理由は有機農業の技術があまり進んでいない段階では、学校給食などの残さは食品添加物による重金属が多く、堆肥には適さないとの見方が一般的だったからです。私たちはこの問題をクリアするために、堆肥を熟成する段階で温度を上げたり、重金属を分解する「バイムフード菌」を注入、長期発酵させて完熟させるなどの工夫を行った結果、水銀は農林水産省基準の500分の1、カドニウムも自然界に存在するレベルしかなく、堆肥の原料として使用できることが確認できました。 こうして育てた野菜、ニンジン、ジャガイモや小松菜などを学校給食に提供しています。小規模ながら循環型の農業、地産地消が成立しています。また、市内3ヶ所のスーパーなどの「かんらん車」専用コーナーで販売されている野菜は、「通常のものより一回り大きく、味もよい」とお客様からも好評です。

堆肥土づくり実践館スタート
 こうした取り組みを成田市も積極的にサポートしてくれています。2002年5月には同市が進める循環型農業の中核施設となる「堆肥土づくり実践館」(野菜くずなどから堆肥を作る実験プラント)が成田空港近くに設置されました。成田市の外郭団体、成田市農業センターが建設し、運営はかんらん車のメンバーで構成する 「空港西部堆肥利用組合」(堀越一仁会長)が委託を受けて行っています。

 JA成田市の野菜加工センターや市学校給食センターから出る野菜くず(日量一トン)にもみ殻、米ぬか、発酵金菌を交ぜて発酵。同館で三ヶ月、さらに農家で三ヶ月間、完熟させて年間百・程度の良好な堆肥を作る能力があります。オゾンを使った脱臭装置なども設置されています。 私たちが行っていた学校給食などの残さを集めた堆肥作りを市全域に本格的に広げようというもので、将来的には市内の事業所や家庭などから出る生ごみも堆肥の原料として回収、全市的な地域循環型農業の確立を目指したいと成田市なども思っています。

コスト低減などの課題
 有機農業は化学肥料の10倍も手間がかかる上に、コストも通常の3〜4割増しになるのが現状です。例えば、農産物10トンの収穫を得るためには、堆肥2トン、ぼかし300キロを投入しなければなりません。また収量そのものもジャガイモ、ニンジンなどの場合、慣行栽培の8〜9割に留まるなど悩みもあります。このほか、「外見が見劣りすることへの消費者の理解」「品質のばらつき」などの問題をクリアすることが今後の課題です。こうした課題を一つ、一つクリアしながら、会員を増やして事業を拡大し、学校給食で使うジャガイモとニンジンを作るための堆肥は堆肥土づくり実践館で全て、賄えるようにしたいと思っています。環境にやさしく安全でおいしい野菜を地元でつくり、地元で生産する、地産地消をさらに広げていきたいと念願しています。

かんらん車・連絡先
千葉県成田市大字大清水83−4
TEL:0476-35−0699

 堀越氏の講演の後、実際に「堆肥土づくり実践館」と堀越氏の畑を見学しました。隣とは有機農業を実行していない畑農家だが、最初は堀越さんの畑に向かって殺虫剤をまいていたほど、理解がなかったが、最近では自分の畑の内向きにまくようになった。但し、その後、虫という虫が堀越さんの畑に避難してくるという。その対策がまた悩みのためという。机の上だけで有機農業を唱えるのとは違って苦労のほどが実感できた。



質 疑 応 答


●ネパールやギニアでは自給率はどうなっていますか。
○ネパールの平均的な農家では最低限、おコメは8か月分ありますが、残りの4ヶ月をどうしのぐかが問題です。この間、都市に出稼ぎに行ったり、とうもろこしを食いつなぐという場合も多くみられます。
 ギニアでは朝食と夕食の2食しか食べず、食糧が足りない場合には1日1.5食という場合もあります。収穫直後はコメを食べ、なくなればミレットやソルガムといった雑穀類を食べて我慢しています。

●ギニアでの例で、村人に森づくりへの関心を持ってもらうためにどういう動機づけを行っていますか。
○プロジェクトを開始してから1〜3年の間、早期結実優良種が実をつける間、村人に参加を促すために、木への潅水(水やり)には苗木1本幾らという形で日当を支払っていました。

●一般的に有機農業というと自己流で独善的になりがちという話もよく聞くが、かんらん車は成田市や千葉県農業総合センターの技師はじめ行政・地域と連携し自分たちの活動を点検しながら行っていることに感銘を受けました。

●実際に堆肥をつくっている場所を見学できたことが収穫でした。このような有機農業の技術を是非、途上国に広げていただきたいと思いました。



総  括

(特非)国際開発フロンティア機構理事長    増見 国弘


土づくりの重要性
 今回の事例紹介で「堆肥とボカシ肥え」を使ったギニアの農村開発」(サパ=西アフリカの人達を支援する会)が現地では農業の生産性向上と地力維持にインパクトを与えております。また、国内でも「かんらん車」が示唆する土作りや堆肥作りの重要性は繰り返し強調されなければなりません。これらの技術こそ、東南アジアほか私たちのプロジェクト現場に積極的に紹介していくことが急務といえます。
 またサパの成功は化学肥料や化学農薬を中心とした生産性指向の技術ではなく、農民が入手可能な素材の利用による環境保全と持続可能な農法を農民が求めていることを実証したものです。

専門性の習得
 開発途上国での農村・農業開発のための技術の開発・普及には現場からのアプローチが重要です。今回の研修会では土づくりの現場を見学する貴重な機会が得られました。今後の研究会ではこうした実践的な技術習得に踏み込んだ実習も含め、様々な現場で農村・農業開発に携わっている多くのNGOがそれぞれの環境、農民、地域社会に適正な農業や移転手法を身につけ、その専門性を高めていくことを期待しています。




第5回・東京・八王子:総合的な農業へのアプローチ


 第3世界で問題となっている環境破壊の実例を取り上げ、その解決に向けたモデルとして実践されている総合農業の実例を提示します。総合農業とは、第三世界で多く実践されているモノカルチャー(単一作物の栽培)の弊害からの脱却をめざした農村モデルで、一つの地域内で複数の作物を育て、複数の活動を有機的に組み合わせた、ある意味では明治以前の日本の農業モデルへの回帰(ポリカルチャー)です。そういった農業の考え方に地球環境や人倫を組み合わせて、一歩進んだ持続可能な未来の世界のあり方としてのパーマカルチャーを紹介し、その可能性をワークショップで議論します。



(1)事例発表
    1) 現代農業の行き詰まりと複合農業の試み
      財団法人オイスカ事務局次長    亀山近幸
    2) フィリピンの少数民族村落における総合農業の試み
      21世紀協会理事 ミンドロ事務所長 川嶌寛之
(2)講演 パーマカルチャーの現場から
    パーマカルチャーセンタージャパン代表   糸長 浩司
(3)ワークショップ
(4)総括


とき 2002年12月7日(土)13:05〜17:30
ところ 東急スクエアビル内 ゆうぱーく八王子10階会議室


事例紹介(1)


現代農業の行き詰まりと複合農業の試み                  

財団法人 オイスカ事務局次長 亀山近幸氏


 これまで、私は世界数カ国で近代農業を実践してきましたが、反省すべき点もたくさんあるというのが正直なところです。今日は、そのあたりについてお話をしたいと思います。

インドの穀倉地帯に赴任
 1972年にインドのパンジャブ州に隣接するハリヤナ州のモデル農場に私は赴任しました。パンジャブ州周辺は皆さんのご承知のとおり、インドの穀倉地帯で小麦、サトウキビ、ジャガイモなどが古くから栽培されていました。土質も豊かで病虫害も殆どなく、農薬を散布する必要もありませんでした。何を作っても楽に収穫できるようなすばらしい土地でした。

 ところが1965年を境にインドは未曾有の大干ばつに襲われ、数十万人が餓死する大規模な飢餓が発生しました。オイスカとしても何か、協力できないかということになり、多くの先輩たちがパンジャブ州に出かけたわけです。土壌調査を綿密に行った結果、充分、コメづくりが可能との確信が得られました。ただ同州はもともと小麦が中心ですので、人々はあまり米作には関心がありませんでした。しかし、同州の政府は飢餓救済のために役立つなら、やってみてほしいということでした。最初はパンジャブ州立大学の農学部の教授たちもうまく行くはずがないと冷淡でしたが、みごとな収穫をあげることができました。大学のお墨付きを得られました。それ以降、パンジャブ州では稲作が急速に広がっていきました。

緑の革命の功罪
 そのとき栽培したのは緑の革命によって生まれたIR8という品種でした。これは在来種のものより、肥料も水も大量に必要とするものでした。当時の私たちは有機農業以上に化学肥料と農薬を万能視する近代農業を優先しました)。化成肥料を田に入れつづけることのデメリットについては想像もしていませんでした。ただ、パンジャブ州ではIR8の普及とともに病虫害やイネの病気が多数、発生するようになったことは否定できません。飢餓に対しては大きな貢献を果たしたのですが、長い目で見れば、私たちがパンジャブ州でしたことはインドの人々にとってはマイナスではなかったかと反省しています。

フィリピンでの教訓―地力低下
 私はその後、1973年にフィリピンのブラカン州アンガット市というところに州政府の要請で農業指導に入りました。そこにモデル農場を設け、IR24という品種の二期作をめざしました。めざましい収量をあげることには成功しましたが、7年後には同じ収量をあげるためには当時の2倍の化成肥料を投入しなければならないほど土地そのものが劣化してしまいました。それに対してパンジャブ州が数千年にわたって肥沃さを保ってきたと聞きます。その理由の一つは同州では緑肥を盛んに鋤きこむ習慣があったことだと思います。それと牛の食べる牧草も残ったものは鋤きこんでいます。フィリピンのアンガット市でも、そうした経験から有機農業の考えを取り入れ、土の回復に努めていると聞きます。

 その後、赴任したタイでは全く様子が違っていました。土そのものが疲弊し切っていました。その理由の第一は周辺の森林が伐採されてしまったことが大きく作用していました。田植えから収穫まで一度も除草する必要がありませんでした。草の種さえも尽きてしまっていたのです。収穫間際の大事なときに化成肥料を入れても、イネの根が真っ黒になっていて、吸収できない状態になっていました。土が痩せてしまうと化成肥料を幾ら投入しても効果はあがらないのです。この状態から脱するには土壌改良しかありませんでした。近くの溜池から水をひき、精米所の腐ったモミガラをトラックで何杯も貰い受け、少しでも多くの有機物を土に入れることに専念しました。その努力の結果、オイスカのパイロット農場だけが同地域で唯一、二期作ができるようになりました。

 こうした経験を踏まえて、私は徒に化成肥料、農薬や大型機械に支えられたアメリカ的な近代農業を良しとするのではなく、土づくりこそが全ての農業の基本だと思います。循環型農業こそ21世紀を支える途だと信じています。すでに次の世代の技術員たちは有機農業・循環型農業技術を確立し取り組んで成果をあげています。



事例紹介(2)


フィリピンの少数民族村落社会における総合農業の試み
〜ホリスティックファーミングの実践から〜
                 

21世紀協会 理事 ミンドロ島事務所長 川嶌寛之


はじめに
 私たち21世紀協会は、1990年から、「すべての子に教育を」をスローガンに、フィリピンのミンドロ島に住むマンニャンと呼ばれる先住民族のコミュニティで教育支援及び循環型農業を基本にしたコミュニティ開発を行っています。ミンドロ島は、マニラの南に位置するフィリピンで7番目に大きい島です。その中央を走る2500メートル級の山脈により東ミンドロ州と西ミンドロ州に分かれています。私たちが活動しているのは、よりインフラなどの開発が遅れている西ミンドロ州です。経済は漁業と米作、ココナツ・プランテーションが基盤で、他に牛、カラバオ(水牛)の放牧が行なわれています。

フィリピンの少数民族 マンニャン
 ここには、今なお素朴な生活をおくる先住民族のマンニャンが住んでいます。ミンドロ島全体の人口、約100万人のうち、およそ10〜15%はマンニャンではないかといわれています。彼らが抱えている問題として次の5点があげられます。1.社会的な差別 2.絶対的貧困 3.環境破壊 4.病虫害 5.人口の増大です。

社会的な差別
 まず社会的な差別に関していえば、一種のアウトカーストといえます。ヒンズー教のように宗教に基づくものではありませんが、社会的に非常に差別された状況は似通っています。ルソン島に住むマニラ周辺のタガログ人など「低地人」のなかには「マンニャンは人間ではない。彼らには猿のような尻尾がある」などと信じている人も少なからずいるほどです。逆にマンニャンの人々に「あなたはフィリピン人ですか」と尋ねると、決まって「いいえ、私はマンニャンだ」という答えがかえってきます。彼らの側にもフィリピンという国への帰属意識はないといえます。ここには一種の断絶があると言えます。例えば、ミンドロ島の病院には「低地人」用病棟とは別に、「マンニャン」専用の病棟があります。フィリピンの病院がどこも清潔というわけではありませんが、マンニャン病棟の不潔さは想像を越えていました。

 こうした状況に対して、政府はほとんどマンニャン支援プログラムを実施しておらず、またフィリピン人の8割以上がキリスト教徒ですが、教会の支援も有効なものではありません。最近、ある教会がマンニャンの学校を建てましたが、その学校は文字通り、マンニャン専用の学校で低地人の子どもたちから隔離する形になっています。また、循環型農業が重視される最近の傾向とは逆に、農業指導と銘打ってマンニャンの伝統的な農法である焼畑農業を改めて教えるプログラムも登場したほどです。これはマンニャンの人々を滅びかけているパンダと同視した一種の「天然記念物政策」ではないかと思います。

蔓延する飢え
 第二の絶対的貧困に関していえば、もともと、マンニャンの人々は山で狩猟採取生活を行っていました。ある地域で食べ物が尽きるとまた、別の場所に移動するという生活を繰り返していました。ところが、30年ほど前から海岸部にはマニラ周辺からタガログ人が、山岳地帯にはルソン島北部のイロカノ人が入植してきました。彼らは木材を求めて伐採する傍ら、山を切り開いて開墾していきました。
 そのため、森林の減少とともに、マンニャン族の生活圏は次第に山奥深くに押しやられ狭くなっていきました。その結果、慢性的な飢えに悩まされるようになりました。狩猟採取ではなく、トウモロコシやコメの栽培に転換しようにも現金のない彼らは種や肥料などを買うにも低地人の高利貸しに頼らざるを得ません。収穫前に借りた金を返すために、その2倍の額のコメを差し出すという話しをよく聞きます。

不法伐採と焼畑
 環境破壊という意味は二つあります。一つは不法伐採を含む森林伐採、もう一つはマンニャン自らによる焼畑農業の弊害です。 彼らが数世代前に営んでいた焼畑農業は広い地域で行われていたために、一度、火を入れたところを充分、休ませるゆとりがありましたが、生活圏の縮小のために地力が回復しない前に、再び耕作するようになり収穫量は減り、土地もますます痩せるようになりました。山奥に住むマンニャンの人々は「山から自然が失われ、陸稲をねずみにやられるケースがますますひどくなった(鼠害)」と話します。これも環境破壊が進み、森林が荒廃している証左の一つと言えます。

奨学金プログラム
 こうしたなか、21世紀協会では過去10年以上にわたって、西ミンドロ州サンタクルス郡に住むマンニャンの子供たちを対象に奨学金事業を行っています。マンニャンの生活する山間部にはほとんど学校が無いため、共同生活をしながら町の公立学校に就学させる事業の他、山間部でも手作りの学校を経営し、マンニャンの子供たちの識字率向上に努めてきました。

農業プログラム
 また持続的な農業を普及させることで「飢え」からの解放のみならず、健全な自立の道を模索してきました。例えば、99年からパクパク村というところで、16世帯(85人)のマンニャン族人の人たちとともに5ヘクタールの土地で循環型農業を行っています。ここの土地は地味も痩せていますが、村のすぐ下流には肥沃な土地があり、タガログ人の牧場や畑が広がっているのは皮肉な光景です。この豊かな土地もかつてはマンニャンの人々のものだったからです。
 「土地が痩せている」「川(アムナイ川)と山に挟まれ、耕地が少ない」「耕作の動力であるカラバオ、農機具の不足」「十分な農業技術を持たない」などの問題を抱えながら、村人の意欲は高く、シャベルなどの工具が不足するなか、400メートルに及ぶ灌漑水路を短期間で完成させました。今後は灌漑を利用したコメの二期作、野菜栽培、用水を利用した魚の養殖など土地の多角利用をめざしています。

 私たちはマンニャンの人々が民族の誇りを持ち、自立した生活ができるよう今後も息長く支援を続けていきたいと考えています。



講  演


パーマカルチャーの現場から                  

パーマカルチャーセンタージャパン代表 糸長浩司


パーマカルチャーとは
 パーマカルチャーとはパーマネント(永続性)とアグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)の合成語です。この言葉はオーストラリア人のビル・モリソンという生物学者が生み出したもので、オーストラリア人の先住民族であるアボリジニの自給自足的な暮らしに関する研究から出てきました。彼は次のように言っています。「パーマカルチャーとは、自然のシステムを生かし、農の魅力を暮らしのなかに取り入れることで、環境と共生した暮らしの永続的な場をつくるデザインを意味する」言い換えれば、近代的な暮らしが他律的で消費的なのに対して、より自律性の高い生産も含んだ暮らしをつくっていこうとする運動を示します。
 例えば、アカシアの木を植え、ニワトリを飼ったとします。アカシアは窒素を固定しますから土が豊かになります。その土に野菜の種を蒔けば化学肥料を施さなくても育っていきます。アカシアの木や葉は随時、剪定し、マルチにして雑草を抑えたり、ニワトリのエサにしたりもできます。収穫の終わった野菜や木の葉のマルチはやがて土に戻り次に育つ植物の栄養となります。ニワトリは卵を産むばかりでなく、